映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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コッポラとルーカスのコンビが描く青春の群像

アメリカン・グラフティ

製作年度:1973年
監督・脚本: ジョージ・ルーカス  製作: フランシス・フォード・コッポラ
キャスト: リチャード・ドレイファス/ ロニー・ハワード/チャーリー・マーティン・スミス/
      ポール・ル・マット/シンディ・ウィリアムズウルフマン・ジャック / ハリソン・フォード

 この映画を語らずして、自分の青春は語れない。誰もが持っている青春の1ページ。清々しく、微笑ましく、そしてすべての人をあの青春時代へと誘う映画だ。
 
 ガールハントのため、街を流す様々な車のカーステレオから流れるロックンロール・ミュージック。車とファッションと音楽の洪水。実にアメリカ的な映画だ。1944年生まれのジョージ・ルーカスは、この年29歳。映画の背景となっている年は、1962年である。11年前の彼は、まだ学生で、その時代(ロックンロール・ジェネレーション)を懐かしんで作ったといえるだろう。
 1962年体験をくすぐるこの映画のアメリカでの宣伝文句は、「あなたは1962年にはどこにいたか?」と観客への画面参加を呼び掛けている。
 それほど、この映画には1962年のアメリカのリアリティがあり、あの時代を知っている人へ、懐古させる。いや知らない人にだって、それぞれの1962年(青春時代)はあるのだ。

 自分の1962年は小学生だったし、リアルタイムの感覚はないが、映画が作られた1973年は、大学2年だったので、大いに青春していた。前にも書いたように、自分の学生時代に開演前から長蛇の列をなして映画館前に人が並んでいた映画は、”ゴッドファーザー”とこの”アメリカン・グラフティ”だけであった。

 アメリカン・グラフティに出てくる4人の仲間の車であるが、カート(リチャード・ドレイファス)が、シトロイエン、スチーブ(ロニー・ハワード)が、58年型シボレー、ジョン(ポール・ル・マット)が、32年型カスタム・フォードのデュース・クーペ、テリー(チャーリー・マーチン・スミス)だけが、スクーターのベスパであった。
 
 カーラジオから流れてくる、1955年“暴力教室”の主題歌に使われてヒットした”ロック・アラウンド・ザ・クロック”(ビル・ヘイリーと彼のコメッツ)で始まるこの映画のロックン・ロールナンバーは41曲。ほとんどが50年代から60年初期のナンバーだが、中には、62年以降の曲も挿入されている。つまり、挿入歌は映画の背景となっている62年のヒット・パレードではないのだ。ここにルーカスのロックンロール・ジェネレーション全体へのオマージュを感じる。

 車・音楽ときて、次はファッションだ。これもロックンロール・エイジに合わせた、男女ともにアイビーやヤンキールックである。これもノスタルジーを感じさせる。
そして、車を駆ってのガールハント。若者なら誰しも経験あることだろう。
 この映画にストーリーらしいストーリーはない。そこに描かれているのは、4人の若者の夏の日の1日だけだ。車と音楽と若い男女。それだけで充分だ。理屈なしにあの時代に帰れる。

 1962年というと、この年の10月にイギリスでは、ビートルズが”ラヴ・ミー・ドゥ”でレコードデビューしている。ここからロックそのものが変わっていくのである。
この映画の挿入歌のような、単純なロックンロールは終焉し、60年代後半には、より前衛的なアート・ロック、ニュー・ロック、プログレッシブ・ロックへと変遷し、音楽系統もロックは、フォークやブルース、ジャズやラテン、クラシックなどと融合し、色々な流派を産みながら70年代へと突入していくのである。
 
 ルーカスは、この単純だった62年を懐古し、多くの人に自分たちの一番良かった時代、青春時代を取り戻してもらいたいとの気持ちを込めてこの映画を作ったと自分には思える。
 
 映画のラスト近く、ジョンと路上でスピードを競うボブファルファの役として、のちの大スターとなるハリソン・フォードが登場しているのも興味深い。リチャード・ドレイファスは、コッポラのお気に入りで、この後も彼の作品に多く登場することになるし、ロニー・ハワードは、俳優というより、今や映画監督として大成功している。3人の俳優にとってもこの映画への出演は、大変意義あるものだったといえる。

 当時を知っている人は勿論のこと、知らない人も自分たちの1962年を、この映画を観ることで取り戻して欲しい。
卒業


1967年 アメリカ・ニューシネマ(アンチ・テーゼ)----恋愛のバイブル
監督:マイク・ニコルズ  原作;チャールズ・ウエッブ  音楽:サイモン&ガーファンクル
主題歌:サウンド・オブ・サイレンス/ミセス・ロビンソン/スカボロー・フェア/4月になれば彼女は
キャスト:ダスティン・ホフマン/キャサリン・ロス/アン・バンクロフト/ウィリアム・ダニエルス

 自分が、映画館で友達と映画を見始めたのは、中学2年生、すなわち1967年からである。マカロニウエスタンとアメリカ・ニューシネマの花盛りであった。
 
 アメリカ・ニューシネマは、1967年~70年の作品で、これまでジョン・ウェインやクラーク・ゲーブルなどの正義の主人公が、ヒーローとなる、お決まりの勧善懲悪主義を真っ向から否定し、社会に問題提起した革命的作品群である。
 卒業/俺たちに明日はない(67年)、/真夜中のカーボーイ/イージー・ライダー/明日に向かって撃て(69年)、ファイブ・イージー・ピーセス(70年)の6作品が、これにあたる。

 中でも、自分にとっては、上記作品群で一番最初に観た”卒業”が忘れなれない。恋に芽生える中学生。異性に憧れを抱く、多感な時期である。
純愛路線を想像して観に行ったが、最初の方は、度肝を抜かれた。

 主人公ベンジャミン(ホフマン)は、大学を、優秀な成績とスポーツでも数々の賞を獲得した優等生として卒業した。
 しかし、これから先、何をやっていいのか決心がつかず、将来に対する不安(目的がない)を映しだした場面から、ストーリーは展開する。両親は自慢の息子のため、卒業パーティーを開くが、自分は気分が乗らない。たまたま、家に送ることのなったロビンソン夫人(バンクロフト)に挑発され、その後自分の方から夫人を誘い、こともあろうに、母親ほど年が違う彼女と関係を持つことになる。
 将来の目的が定まらないまま、ロビンソン夫人との関係を続けるうち、実家に戻ってきた彼女の娘エレン(ロス)と会う。やがて、本当の恋に落ちていく訳だが、結果的に恋人の母親と寝たことになるのだ。知った娘もビックリし、当然、彼を拒絶するが、真剣に彼女を求める彼に対してーーー。

 そして、ラストはあの感動的シーンだ!
ベンジャミンを無理に忘れるため、教会で別の男と式を挙げようとするエレン。
教会を探し求め、式の最中に彼女に向かって、2階の窓の外から声を振り絞って「エレーン!!」と叫び続けるベンジャミン。
振り返るエレン。そして彼女も「ベーン!!」と、魂の叫び。
 やがて、ウエディング・ドレスを着たままの花嫁を、式場の教会からかっさらって行ってしまうのだ。来たバスに慌てて乗り込む二人。

 映画は、ここで終わるが、「こんな話はあるわけない」とか、この先の二人を考えてはいけない。
乗客皆から振り向かれるが、バスの後部座席に座ったふたりの笑顔。
すべてのわだかまりから解放され、ふたりは、心からの笑顔を見せたのだからーーーー。
ローマの休日


1953年恋愛物。若き日の可憐なヘプバーン。自分にとって、恋への憧れの時期に触れた映画。
監督:ウィリアム・ワイラー 原作:ダルトン・トロンボ 
脚本:イアン・マクレラン・ハンター/ダルトン・トロンボ/ジョン・ダイト
キャスト:オードリー・ヘプバーン/グレゴリー・ペック/エディ・アルバート/テュリオ・カルミナティ
音楽:ジョルジュ・オーリック

 文句なしの恋愛映画の一級品。自分の生まれる前に出来た作品であるが、時代を超えて何度もテレビと映画館で放映されている。一度も観ていない人の方が少ないと思われる。特に女性が好きな映画だ。自分は、ベタベタした恋愛物は嫌いだが、この作品は自然にさらりとしている。

 ヨーロッパ最古の王室の王位継承者であるアン王女(ヘプバーン)は、欧州各国を親善旅行で訪れていた。ローマでも公務を無難にこなしていくアン。しかし、ハードスケジュールで疲れやストレスが溜まり、主治医に鎮静剤を投与される。こっそり夜のローマの街へ繰り出し、やがて薬が効いてくるとベンチで寝入ってしまう。そこへ偶然通りかかったアメリカ人の新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)は、彼女を一国の王女であることも知らずに自分のアパートで休ませるのだが…。 

 偶然異国の地で巡り合う二人。全く置かれた環境・境遇も違うのに、燃え上がる二人。年の開きもかなりあるのに。お互い美男美女であるのに、これまで恋人がいないことが不思議だ。映画には、こういったシチュエーションが多い。ふとしたことから知り合う二人が、生涯無くてはならぬ人になるのだ。
 現実は、どうであろうか?自分が始めてこの映画を見たのは、まだ恋が何たるかも知らぬ中学生の時だった。とても恋に憧れた。でも現実にこんな事はあり得ないのだ。だからこそ、自分たちの体験できないことに憧れを抱かせ、夢を見させるのが、映画なのだ。

 自分の好きな人も、この映画が好きで何回も観ているという。同じ映画でも、年を重ねるに従って受け取り方が変化してくるものだ。若い時は、希望に満ちている。一つづつ年を取るごとに、自分の可能性が見えてくる。絶え間ない不安が襲ってくる。自分の人生は、こんなものではなかったはずだと。
 それでも生きていかねばならぬのだ。良い事・楽しい事だってまだまだあるはずだ。好きな人とは、この映画の主人公たちのように年が離れている。ましてや、彼女は、私の事など何とも思っていない。この気持ちを知ったとて、笑うだろう。
 しかし、報われぬ愛、無報酬の行為こそ美しいものだと思っている。この映画が好きだという”あの人”に、このレビューを読んで貰いたい。いつか、逢える日を夢見てーーーー。
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