映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ジョニー・デップの初主演作品

クライ・ベイビー

製作年度: 1990年  能天気なラヴコメディの青春ミュージカル 
監督・脚本: ジョン・ウォーターズ  製作総指揮: ジム・エイブラハムズ、ブライアン・グレイザー   
音楽: パトリック・ウィリアムス ロックン・ロール・オールディーズ
キャスト: ジョニー・デップ/エイミー・ロケイン/スーザン・ティレル/ポリー・バーゲン/イギー・ポップ/リッキー・レイク/トレイシー・ローズ/ウィレム・デフォー

 ジョニー・デップは、1963年6月9日、ケンタッキー州で生まれ、12歳の時にギターを手にしている。バンド活動を続け、”ザ・キッズ”と言うロック・バンドを結成した。本格的なミュージシャンを目指し、ロサンゼルスにやって来たが、ニコラス・ケイジの勧めで俳優に転向している。

 ”エルム街の悪夢”や”プラトーン”にも出演したが、目立った役ではなかった。自分は、両作品も見ているが、デップの事は、全く印象に残らなかった。
 
 1990年、デップ27歳にして、初めて手にした主役作品が、この”クライ・ベイビー”である。
ストーリーはごく単純な青春ラヴコメディ。1954年のアメリカ・ボルチモアを舞台に、不良グループのリーダー(デップ)とお嬢様(エイミー・ロケイン)が恋に落ち、グループを巻き込んで大騒動を繰り広げるという話だ。

 この作品は、デップ初の主演映画と言うこと以外には、あまり知られていないと思うが、出演者は凄い。デップの恋人アリスン役エイミー・ロケインも初主演だが、脇を固めるメンバーは、不良グループに、ヒット作”ヘアスプレー”のリッキー・レイクやポルノの女王トレイシー・ローズ、アリスンのおばあちゃん役は、人気テレビドラマ”デスパレートな妻たち”のポリー・バーゲン、ロック歌手のイギー・ポップや大物ウィレム・デフォーまでチョイ役で登場する。
 他のデップ主演の作品で、イギー・ポップは、”デッドマン”と”ブレイブ”に出演しているし、デップがチョイ役だった”プラトーン”の主役は、ウィレム・デフォーである。

 皮ジャンにリーゼント姿のデップは、キング・エルヴィス・プレスリーを思わせる。27歳のデップが、10代のツッパリ役を堂々とこなしている。実に若い。全編を彩るフィフティズのロックンロール・ナンバー。彼が本当に歌っているのかどうかは、良く分からないが、ロックミュージシャンを目指していただけに、ギター姿は様になっている。青春ミュージカルは、”ウエスト・サイド・ストーリー”やジョン・トラボルタの”グリース”を思い起こさせるし、ラスト近くのチキン・レースは、ジェームズ・ディーンの”理由なき反抗”を思い起こさせた。

 ”クライ・ベイビー”とは、デップが感極まった時に流す『一粒の涙』から取られた彼の仇名だが、金持ちグループと喧嘩して監獄に入れられた彼は、アリスンを想い、涙の入れ墨をする。
 恋と音楽と喧嘩とカーレース。青春物につきもののありきたりの話だが、デップファンにはたまらないと思う。若き日の彼が、縦横無尽のノリノリの大暴れだ。もうこういった作品に出られる年ではないし、彼にとっては、忘れられない作品であろう。この後、”シザー・ハンズ”を始め、変わった役柄が多くなっていく彼であるが、この映画はごく自然で、素顔の彼が見られる。

 ”パイレーツ・オブ・カリビアン”以降のデップファンも、彼の記念すべき作品であり、若き日の彼の素顔に触れて欲しい。また、プレスリーやジェームズ・ディーンのファンにも、彼らとの共通点をデップに見て欲しい。
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実在のFBI潜入捜査官を演じるデップ

フェイク

製作年度: 1997年  20世紀最大の社会的事件のひとつを描くノンフィクション 
監督・製作: マイク・ニューエル  製作総指揮: パトリック・マコーミック  脚本: ポール・アタナシオ
原作: ジョセフ・D・ピストーネ(元FBI捜査官)の「フェイクーーーマフィアをはめた男」落合信彦訳
音楽: パトリック・ドイル 70年代のヒット曲
キャスト: ジョニー・デップ/アル・パチーノ/マイケル・マドセン/ブルーノ・カービー/アン・ヘッシュ/ジェームズ・ルッソ
    
 フェイクとは、偽物のこと。FBI潜入捜査官とマフィアの老兵士との関係が、嘘から生まれた偽りだったとしたら、真実を超えた偽りがそこにはあった。
原作は、元FBI捜査官による、自身の6年間の潜入捜査における真実を綴った男の叙事詩である。

 この映画は、アメリカ5大マフィアの一つであるファミリーが、1人の男によって、壊滅状態に追い込まれた実話を、実際の潜入捜査官の手記を元に作られた。史上初と言っていい大裁判劇は、連日マスコミを賑わせた。
 従来のバイオレンス重視のマフィア物とは、一線を画し、マフイアの兵士と潜入捜査官の二人の男のドラマとして捉えている。

 マフィア映画の金字塔となった”ゴッドファーザー・シリーズ”で、ドンの役を演じたアル・パチーノが、引退間近の老兵士レフティ役で登場している。数々の話題作で、色んな役を演じてきたジョニー・デップは、実在の囮捜査官ジョー・ピストーネ役を演じた。
 決して交わることがない二人の男の友情とも呼べる人間ドラマを、実力演技派の二人が演じている。実際、『事実は小説より奇なり』を地で行っている。

 マフィア組織への潜入を命じられたジョーは、彼らとの接触の機会を窺っていたが、最初に近づいたのは、初老のマフィア、レフティだった。酒場で、ダイヤの指輪を出し、ジョーに鑑定を頼んだのだった。ジョーは、一瞥しただけで、「これはフェイク(偽物)だ!」と見破る。二人の最初の出会いだ。
彼は自らを、偽りの潜入名であるドニー・フラスコと名乗った。

 ドニーを気に入ったレフティは、彼を連れ歩き、組の幹部にも弟分だと紹介した。そんなレフティを足掛かりに、マフィアの実態を盗聴器やビデオでFBIに報告するドニーであった。
もっと上層部に近づくため、私生活を犠牲にし、マフィアとの行動が多くなっていく彼は、段々レフティと言う男に愛着を感じていく。レフティは、本物の悪になりきれないお人好しの気の良いチンピラなのだ。初老に差し掛かり、最後に一花咲かせたいと思っている。今では、利発で行動力のあるドニーを信頼しきっている。
 ここに、妙な友情が生まれるのだ。ドニーは、彼の妻マギー(アン・ヘッシュ)よりもレフティと会う時間が多くなる。妻にも自分のしていることは言えないし、夫婦間は冷めていく。
彼は、自分の実態が分からなくなる。生活そのものが、フェイクなのだ。

 ドニーは、レフティのボスであるソニー(マイケル・マドセン)に大金の話を持ちかけ、罠を仕掛ける。今では、誰もドニーを疑う者はいなかった。「お前が裏切ったら、俺はマフィアの歴史に残る大馬鹿者になる。」と言うレフティは、ドニーを信じるしかなかった。
 
 やがて2組のマフィアの抗争が激しくなる中、ドニーの身の危険を感じたFBIは、撤退するように勧告するが、「今ここで抜けるとレフティの身が危ない。」と、彼を見捨てられない。レフティと行動を共にし、抗争中の敵めがけて銃を引こうという瞬間に、FBIが突入し、一味は逮捕された。
レフティは逃げるが、すべてを知ったマフィアに狙われることになる。マギーに、「ドニーに伝えてくれ。お前だから許せると。」と、電話し、夜の闇に消えていく。

 生きる道が異なる二人に、いつまでも交流は続かなかった。ジョー・ピストーネのドニー・フラスコとしての6年間の役割はこうして終わりを告げた。原作者でもある、本名ジョセフ・D・ピストーネは、今でもその首に、マフィアから50万ドルの賞金を懸けられているという。
彼は、この事件を最後にFBIを引退し、名前を変えて暮らしている。

 レフティが所属していたマフィアは、実在のボナンノ・ファミリーであり、良く6年間も正体を見破られず、潜入できたと思う。常にドニーは、レフティに庇われてきたことだろう。ここに、アル・パチーノが演じたレフティに親近感を覚える。レフティも彼のボス、ソニーも今はもういない。マフィアに消されたと思う。
今になって、ピストーネに去来する思いは何か?
 
 自分に映った二人の姿は、実に男らしく、人間味を感じさせた。まるで、実際の人物のように二人は演じている。本当に演技なのかと思わせるリアリティが伝わってくる。人間の強さと弱さ、憐れ身さえ感じさせる滑稽さ。そして、互いを信じる友情。人生における喜劇と悲劇は、紙一重だと思う。
一体何が偽りで、何が真実なのか?

 フェイクとは、実に素晴らしいタイトルをつけたと思う。この映画で考えさせられたことは多い。
ドンパチのマフィア映画を超えている、人間のドラマだ。間違いなく、自分がこれまで見た映画の10本の指に入る名作である。この映画を見て、原作を読みたくなった。ジョセフ・D・ピストーネという原作者に尊敬の念を持った。
平凡な役を演じるデップ

ニック・オブ・タイム

製作年度: 1995年  残された時間90分、銃弾6発、選択の余地なし
監督・製作: ジョン・バダム  製作総指揮: D・J・カルーソー  脚本: パトリック・ジェーン・ダンカン
音楽: アーサー・B・ルービンスタイン 
キャスト: ジョニー・デップ/クリストファー・ウォーケン/チャールズ・Sダットン/ピーター・ストラウス
      ローマ・マフィア/グロリア・ルービン/マーシャ・メイスン/コートニー・チェイス

 これまでのジョニー・デップは、様々な個性的な役が多く、出演作品もユニークで風変わりなものが多かった。
1995年には、多くの作品に出演しているが、この”ニック・オブ・タイム”では、ごく普通の娘を想う父親役で登場している。
 この映画は、90分の出来事をリアルタイムの90分で進行させていく。息もつかせぬ展開で、観ている者はデップと同じ時間を共有し、刻々とラストまで引きずり込まれる。

 ロサンゼルスのユニオンステーション、雑踏の中で獲物を物色する鋭い視線。彼の目に飛び込んできたのは、幼い娘の手を引く、どこにでもいるような冴えない父親の姿だった。娘を人質に捕られた父親は、90分以内にある人物を殺害するよう、拳銃を渡され脅迫される。
 突然の悪夢に襲われる父親ワトソンにジョニー・デップ、鷹の目のように鋭く、冷酷な男スミスにクリストファー・ウォーケンという、実力派2人を配したサスペンスである。

 暗殺の標的は、カリフォルニア女性州知事エレノア(マーシャ・メイスン)。拳銃を手にしたことなどないワトソンは、途方にくれる。誰かに助けを求めようにも、スミスの目がいつも光っているし、娘はスミスの相棒ジョーンズ(ローマ・マフィア)によってバンの中に閉じ込められている。90分以内に知事を殺さなければ、娘の命はない。

 知事がいるホテルの中を、やみくもに歩き回るワトソン。10分過ぎれば、持ち時間も10分減る。知事の護衛のシークレット・サービスや、近くにいた警官に何度も打ち明けようとするが、その都度スミスに阻止される。それどころか、警備による身体検査も拳銃を携帯しているにも拘らず、通過してしまう。後先を考えず警備主任に助けを求めても、取り合ってもらえない。皆グルなのだ。
 組織だった犯罪のスケープゴートにされようとしている。誰が味方かもわからない。そうこうしている内に、刻々と時は過ぎ、リミットの1時半に近づいてゆく。知事を殺すしか、娘を救うことはできないのか?

 映画の経過時間が、ワトソンと娘の運命の時間に近づいて行くという、時の経過と共に緊迫感を盛り上げる絶妙の演出がされている。現実通りに時間が経過する斬新な設定だ。
緊迫感溢れ、緊張の極度に達するデップと冷酷無比なウォーケンの対決。見ている我々も、デップの心情がハッキリ伝わってくる。手に汗握るサスペンスの中で凡庸な人間を演じるデップの恐怖・怒り・絶望が実に見事だ。人事とは思えない、現実に起こりうる現代の恐怖である。
対するウォーケンの許せない残虐・冷酷さ、これも同じように見事に演じている。

 どうにもならない状況で、1時半を迎えようとしているワトソン。映画の残り時間もあとわずか。ラストは、皆で確認して欲しい。
 現実に起こりうる恐怖を、我々はデップと共に体験できる。ジョン・バダムの無駄のない、時間を計算しつくした90分の演出だ。
ジョニー・デップの異色西部劇

デッドマン


製作年度: 1995年  カンヌ映画祭出品作品
監督・脚本: ジム・ジャームッシュ  製作: ディミートラ・J・マクブライド  音楽: ニール・ヤング  
キャスト: ジョニー・デップ/ジョン・ハート/ロバート・ミッチャム/ミリ・アヴィタル/ガブリエル・バーン/ゲーリー・ファーマー/ランス・ヘンリクスン/マイケル・ウィンコット/ユージン・バード

 デッドマンとは死人のことだが、ジョニー・デップ演じる会計士ウィリアム・ブレイクが、故人であるイギリスの詩人と同姓同名だったことから、ノーボディと名乗るインディアン(ゲーリー・ファーマー)が、詩人その人だと信じ込み、デッドマンと呼ぶことになる。
 実に不思議かつ奇妙で、筆舌し難い神秘的な世界が描かれている。この幻想的な世界を演出するため、ジム・ジャームッシュ監督は、敢てモノクロのカメラワークを使用している。
我々は必然的に、19世紀後半のアメリカ西部、ウエスタンの世界に、タイムスリップさせられるのだ。

 会計士として、ディッキンソン工場に雇ってもらうために、東部クリーブランドから蒸気機関車に乗って西部の町にやってきたブレイク。蒸気機関車から見える風景は、西へ行くほど、森林地帯から広大な平野地帯へと、まるで西部開拓史さながらの殺縛とした景観である。
 夢を抱いてやってきた町だが、墓場のような空気が漂っている。工場の支配人(ジョン・ハート)は、「来るのが遅すぎた。もう別の会計士を雇ってしまった。」と、にべもない。ディッキンソン社長(ロバート・ミッチャム)と会っても、銃で追い返されてしまうブレイク。

 夜の酒場で花売りをしていた娘セル(ミリ・アヴィタル)が、酔っ払いに絡まれているのを助け、彼女の部屋へ。ベッドで寝ているところをセルの恋人チャーリー(ガブリエル・バーン)に見つかり、銃で撃たれる。銃弾は、ブレイクをかばおうとしたセルの胸を貫き、彼も胸の脇を撃たれる。セルの護身用銃でブレイクも、チャーリーを殺してしまう。

 チャーリーは、町を牛耳るディッキンソンの息子だった。息子の死を知った彼は、3人の殺し屋を雇い、ブレイクを追わせる。さらに、賞金付の手配書を西部全域に手配させた。

 傷を負い、町を抜け出して森に逃げたブレイクを助けたのは、インディアンのノーボディだった。彼は、イギリス詩人ウィリアム・ブレイクを尊敬しており、撃たれたブレイク(デップ)が同姓同名だったことから、故人である詩人の生まれ変わりだと信じてしまう。
 こうして息の合った二人の旅は始まる。追っ手の気配を感じながら二人は何処へ?
賞金を知って皆に狙われるが、ノーボディに助けられて逃げ延びる。3人の殺し屋は、仲間割れし、極悪非道のコール・ウィルソン(ランス・ヘンリクスン)が、他の二人を殺してしまう。

 森の中で、仔鹿の死体を見つけるブレイク。仔鹿の血を自分の傷口に合わせ、隣に身を横たえる。鹿は神の使いとして、インディアンに崇められた動物だ。鹿とブレイクの交わりは、アニミズム(自然崇拝・精霊崇拝)を感じさせる。
先住民インディアンをフロンティアの名の下に殺戮・略奪した白人だが、インディアンも動物達を追ったのだ。しかし、インディアンの狩猟は、単に食物の獲得ではなく、神秘の動物神である鹿との間で生命の取引をするという感覚であったのだ。この作品は、自然と人間、動物を一体化させている。
 
 監督・脚本のジム・ジャームッシュは、そこを強調したかったと思える。詩人ウィリアム・ブレイクの名を借りたのもそこにあると思う。彼は少年時代から、植物や動物の中に天使や精霊の姿を幻視する特異な能力を持っていたと言われている。アニミスティックな傾向の強い彼は、ロンドン郊外の森に棲息する動物達の意識に滑り込み、森羅万象のの中に宿る生命を謳歌したのである。

 この映画での撃ち合いシーンも派手さはない。ごく自然に描かれている。ブレイクが、チャーリーを殺すシーンも何発も撃って、たまたま当たったという感じである。
 森の奥地に向かうため、小舟で出発する直前にブレイクは、賞金を狙う何者かに背後から致命的な一撃を浴びる。
 ノーボディが介抱するも、彼の死を予知し、死への旅立ちへの盛装をし、飾り立てたカヌーに乗せる。インディアンの厳かな儀式だ。静かに川を流れていくカヌーが印象的である。

 ブレイクを見送るノーボディの背後に殺し屋ウイルソンが現れ、二人は撃ち合い、二人とも倒れる。
ブレイクを乗せたカヌーは、大海原を下っていく。魂が帰るところ、魂の故郷へ向かって。

 この作品は、 ジム・ジャームッシュが、詩人ウィリアム・ブレイクへ捧げるオマージュであろう。デップも過去の作品とは違い、淡々と静かに魂を込めて演じている。風景も不気味なほど静かだし、”死”さえも、厳かな儀式として捉えている。
デップの現代版”愛の貴公子”

ドンファン

製作年度: 1995年  現代のN.Y.に現れた、伝説の伊達男ドンファンを名乗る正体不明の青年
監督・脚本: ジェレミー・レヴィン 製作: フランシス・フォード・コッポラ
音楽: マイケル・ケイメン  主題曲: ブライアン・アダムス(リアリー・ラヴド・ウーマン)
キャスト: ジョニー・デップ/マーロン・ブランド/フェイ・ダナウェイ/ジェラルディン・ペラス/ボブ・ディシー/レイチェル・ティコティン/タリサ・ソト/リチャード・サラフィアン

 引退を間近に控えた精神科医ジャック(マーロン・ブランド)は、ビルの屋上から飛び下り自殺を図ろうとした青年(ジョニー・デップ)を説得し、ビルから降ろし、精神病院へ連れて行く。自殺しようとした原因とは?
青年は、「私の名はドンファン・デマルコ。愛の貴公子」と語り、不思議な愛の遍歴を語り始める。

 元々、ドンファンとは、17世紀スペインの伝説上の放蕩児、ドン・フアン・テノーリオのことで、プレイボーイの代名詞として使われる。
 自らをこのドンファンだと語る青年の本名はジョニー・デマルコ。彼の話はどこまで本当か分からない。精神病院の医師たちは、彼を「虚言症」だと断定する。しかし、ジャックだけは、ジョニーに興味を持ち、10日後に引退が決まっているにもかかわらず、自分が治療にあたりたいと申し出る。薬を投与せよという院長の指示も無視して、じっくりジョニーの話を聞くことにする。

 彼の話というのはーーーー。情熱的に自分の女性遍歴を話す彼の話に、「燃え尽き症候群」だったジャックの心に訴えかけ、しばらく冷めていた妻マリリン(フェイ・ダナウェイ)との関係にも火をつける。
 ジョニーの話は、最後まで彼の創作かどうか分からない。しかし、罪の意識から仮面を付け続けていたことや、彼の態度、身振りをつけて話す、話の内容。いかにも本当に思える。
この辺が、デップの今までの役どころと違うところだ。『眼だけで演技が出来る役者』と、再三書いてきたが、今回、ジャックに語る彼の表情は、実に豊かなのだ。無論仮面をつけていた時だけは、眼しか見えないが。
 じっと聞いているマーロン・ブランドの演技にも、さすが大物ぶりが漂っている。帰宅後のマリリンとの絡みも、会話だけでなく、長年連れ添った夫婦の生活感が実に出ている。

 3人とも大した役者である。この映画は、派手なストーリー展開も、アクションもない。会話がすべてなのである。
ジョニーの身元が知れ、彼の祖母を訪ねたジャックは、「孫の話はすべて夢物語。メキシコに住んだこともないし、彼の父親は交通事故で死んだ。」と言う。さらに、「女の子にモテたことなどなく、ポスターのピンナップ女性に憧れていただけ。」だと言う。
 祖母の話を聞いて、ショックだったジャックだが、彼には、どうしてもジョニーの話が出鱈目だとは思えないのだ。
やがて、ジョニーの言葉どおり、母親が尼僧姿で現れ、「あなたの真実は、あなたの心の中にあります」とジャックに告げた。この言葉が印象的である。人間は、誰しも仮面を被っているし、人の言葉など所詮、真実かどうか分からない。自分は、ここで芥川龍之介の”藪の中”を思い出した。

 ジャックはジョニーの話を信じたが、周囲はそうはいかず、ついに彼は審問会にかけられることになる。当日、彼は審問官に、クイーンズで生まれ、ピンナップガールに失恋した過去を語り、退院を許可された。
 現役を引退したジャックとマリリンはジョニーを連れ、彼の話に出てきた“エロス島"に向かう。そこで彼等が目にしたのはーーーー。

 この作品は、単なるおとぎ話であろうか。デップが演じたドンファンとは?そして彼の話は?
監督ジェレミー・レヴィンは、それらの判断を観客に委ねているのである。
第二のチャプリンを魅せるデップ

妹の恋人


製作年度: 1993年 神経を病んだ妹を見守る兄と、その妹と恋に落ちる風変わりな青年との交流
監督: ジェレマイア・S・チェチック  原案・脚本: バリー・バーマン  製作総指揮: ビル・バダラート
音楽: レイチェル・ポートマン
キャスト: ジョニー・デップ/メアリー・スチュアート・マスターソン/エイダン・クイン/ジュリアン・ムー      ア/オリヴァー・プラット/C・C・H・パウンダー

 まず、この映画には無駄がない。ベニー(アイダン・クイン)とジューン(メアリー・スチュアート・マスターソン)の兄妹は、幼い頃に火事で両親を亡くしたことが、中盤に分かるが、死体袋に包まれた両親の姿が、回想シーンでチラッと出てくるだけで、それが原因で妹ジューンが精神に支障をきたし、自閉症気味になったことを想像させる。
 ラストも、これまで妹を親代わりに世話し、自分の人生を犠牲にしてきた兄ベニーもジューンとサム(ジョニー・デップ)が一緒にアパート暮らしを始めることになったことから、アパートの管理人であり、レストランのウェートレスをしているルーシー(ジュリアン・ムーア)と結ばれることを暗示している。
 自分は、観衆に想像させる作品が好きだ。ダラダラと状況説明を映画の中ですることはないのだ。最近の映画は、2時間を超す作品が多いが、この映画は99分でまとめている。原作・脚本も素晴らしいが、監督の手腕に脱帽する。

 車の修理工場で働くベニーは、一日中家にいる妹ジューンに些細な事で仕事場に電話される。車の修理を終えた後、美人の女性客にお礼の食事に誘われても、妹の事が気になるため、誘いを断る。友人のエリック(オリヴァー・プラット)に、「もっと自分の人生を大事にしろ」と言われても、彼は、「結局自分の人生は、車を修理することと妹の面倒を見続けること」と割り切り、自分の人生を犠牲にしている。
 
 彼等の楽しみはポーカーで、妹と一緒に友人宅に向かう時に、木登りをしていた不思議な青年に出会う。それが、サムであった。サムは、ベニーのポーカー仲間マイクの従兄であり、同居を押し付けられたマイクは、彼に手を焼いていた。サムは映画好きで、夜中にテレビ映画を観るだけで、読み書きもできないというのだ。

 或る日、ベニーが居ないところで、ジューンはポーカーに参加した。賭けの条件は、負けたらサムを引き取るというものだった。ジューンは負けて、家にサムを引き取ることになる。
 これまで、何人も来た家政婦とすべて上手くいかなかったジューンも、サムは気に入った。
ベニーは、精神科医のガーペー(C・C・H・パウンダー)から、ジューンを施設に預けるよう勧められていたが、決心がつきかねていた。
 しかし、家に同居させたサムが、お手伝い件ジューンのお守ということになり、誰ともうまくいかなかった妹とも気心があったことに安心する。
ルーシーともデートするようになるが、やはり妹が気になって、彼女に今一歩踏み込めない。そのことで、ルーシーとも気まずくなる。
落ち込んで、ルーシー、サムと3人で公園に行くが、彼の気持ちを察したサムは、ベニーを元気づけるため、ステッキと帽子で、チャプリン顔負けのパントマイムを演じる。堂に入った演技に大勢の人が集まってくる。彼等の顔には、笑顔があった。
 デップのこの辺の演技が、称賛に値する。至って自然で飾り気がない。大袈裟な大道芸人ではない。本人は、至って真面目なのだ。その事が、人々を余計に笑わせる。サムが、映画好きの設定から、チャプリンも大いに研究したのだろうが、その描写は出てこない。そこも、この作品の無駄がない所だ。
 
 公園のシーンだけでなく、初めて3人で行ったレストランでも、2つのパンをフォークで刺し、ダンスさせる芸や、家の壁をモップで掃除する際、大きな音楽に合わせて乗ったソファーを、スライドさせて動き回るシーンや、アイロンでトーストを焼くシーン、ラストに病院の窓から見えるように屋上から吊ったゴンドラに乗り、ブランコの様に揺らしながらのパフォーマンスなどが圧巻である。無口な彼は、眼の動きで感情を表し、全身を使って自然に演技している。”シザーハンズ”に続き、この作品でも『ゴールデン・グローブ賞』にノミネートされたのも当然だろう。

 べニーは、サムの才能を見抜き、コメディアンのオーデションを受けさせる手はずをつけるが、それが気に食わないジューンと言い争いになる。さらに、彼女とサムの関係を知って、サムを家から追い出した。怒ったジューンは、サムとバスに乗って駆け落ちするが、緊張のあまり発作を起こして精神病院に入れられてしまう。

 病院の待合室で、顔を合わせたベニーとサム。ベニーはサムに詰め寄るが、サムの言葉「今まで貴方を尊敬していた。でも今は違う。貴方は恐れている。」に考えさせられる。
自分は妹を愛しているが、彼女の気持ちまで束縛してきたと。そして、ジューンにとってサムが必要だと気づく。この時の二人の眼の表情が良い。今まで、おどけた表情しか見せなかったサムの眼は、実に淋しそうだったし、ベニーもやるせなさそうな眼をしていた。

 結局、2人にアパート暮らしをさせ、自分とは離れて暮らすことにする。そして、自分もーーー。
この映画は、色々な『愛の形』を見せてくれた。そして、我々に充分考えさせる作品になっている。 
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