映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ジョニー・デップ出演作で一番好きな作品

ギルバート・グレイプ

製作年度: 1993年 すべての傷つきやすい人に捧げられた感動作
監督・製作総指揮: ラッセ・ハルトレム 原作・脚本: ピーター・ヘッジス  音楽: アラン・パーカー
キャスト: ジョニー・デップ/ジュリエット・ルイス/レオナルド・ディカプリオ/ダーレーン・ケイツ                                ローラ・ハリントン/メアリー・ケイト・シェルハート/メアリー・スティーンバーゲン/ケヴィン・タイ/ジョン・C・ライリー

 この物語は、エンドーラという町のある家族の葛藤と愛のドラマである。
タイトルになっている"ギルバート・グレイプ"は、ジョニー・デップが演じる物語の主人公の名前であるが、ドラマを盛り上げているのは間違いなく、グレイプ家の末っ子で精神障害者のアニーを演じるレオナルド・ディカプリオである。
 この天才子役は、同年の”ボーイズ・ライフ”でも、あのデ・ニーロをもさえ食った演技を魅せた。その後も、”バスケットボール・ダイアリーズ”、”キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”、”アビエイター”、”ディパーテッド”でも素晴らしい演技をしている。

 大体障害者役は、非常に難しいものだ。彼の演技次第でこの作品が崩れてしまうのだ。これまで、障害者を演じた役者は、ダスティン・ホフマン(レイン・マン)、ダニエル・デイ・ルイス(マイ・レフト・フット)、ロバート・デ・ニーロ(レナードの朝)、アル・パチーノ(セント・オブ・ウーマン)、トム・ハンクス(フォレスト・ガンプ)など、演技力で勝負するそうそうたる実力派のメンバーであり、それぞれの作品も珠玉の名作揃いである。
 中でも、子役でこれだけの演技をしたディカプリオは、最高だと思う。彼は、実際の障害者施設で2カ月近く彼等と暮らし、彼等の挙動を観察したという。

 父親を自殺で失ったグレイプ一家は、そのショックで過食症となり、一歩も外へ出ず、太るだけ肥って身動きが出来なくなってしまった母ボニー(ダーレーン・ケイツ)、その母親代わりに一家の家事を賄う長女のエイミー(ローラ・ハリントン)、長男が家出した後、一家の大黒柱となったギルバート(ジョニー・デップ)、家族には無関心で自分のことしか頭にない次女のエレン(メアリー・ケイト・シェルハート)、そして脳に障害を持ち5歳ぐらいの知能しかないアニー(レオナルド・ディカプリオ)の5人家族である。
 長女は、人生に疲れているし、次女はマイペース。結局ギルバートが、自分の夢も忘れ、家族のためにこの町を出ることもできない。地元の食料品店に勤め、家族を養っている。
配達の際、カーヴァー家の主婦ベティ(メアリー・スティーンバーゲン)に口説かれる。このベティも仕事一筋の夫(ケヴィン・タイ)に相手にされず、身を持て余しているだけなのだ。夫だって人は良く、女房の欲求不満に気がついていないだけだ。この物語に悪人は登場しない。

 エンドーラという平凡な田舎町の平凡な家族を描いたこの作品がなぜこれほどの感動を呼ぶのだろう?
 映画のキャッチとして『守ってあげたい人がいる。その人を守るために闘う、そのために自分の<夢>をいつのまにか忘れてもーーー。』と、ある。実に良い言葉ではないか。
人間誰しも守らなければならない人がいる。ギルバートにとって、それはアニーだったのか?
 ある日トレーラーに乗って、不思議な風を吹き込む少女ベッキー(ジュリエット・ルイス)が町にやってくる。ギルバートとの間にほのかな恋が芽生えるが、ギルバートはもう一歩踏み込めない。ベッキーはやがて町を出て行くし、自分は町を出られない。家族のために彼は、とうに自分の夢を捨てているのだ。
 こういった陰のある、淋しげな表情は、デップの真骨頂である。

 アニーは、無邪気でいつも笑っている。高い所へ登ることだけが彼の特技で、ある日鉄塔に登って行ってしまい、保安官に捕らえられてしまう。
この時の母の姿も感動的だった。ダーレーン・ケイツも実にうまい。
「私の息子よ。返して。私の息子を返して!」と、夫の自殺以来、食べるだけで太りすぎて動けなくなっていたのに、必死に家族に支えられながらも立ち上がり、町へ行き、保安官に詰め寄るのだ。
 母ボニーにとって、末っ子の知恵遅れアニーは、天使だったのだ。アニーの18歳の誕生日を皆で祝うことだけを生甲斐としていた。そして、そのパーティーが終わると、安心して静かな眠りに就いたのだった。

 そして、忘れられないラストシーン。母の死の悲しみの一晩を過ごすが、重すぎて、家の外へ出すことが出来ない母の亡骸を、家財道具を皆外に出して、家ごと燃やしてしまうのだ。
 高々と燃え上がる炎を見つめる兄弟たち。それぞれの思いを焼き尽くすように勢い良く燃え上がる家。ギルバートの愛の火だ。
 家がなくなり、アニーが尋ねる「僕らはどこへ?」ギルバートは答える「どこへでも、どこへでも」と。

 素晴らしい原作だ。しかし、監督のラッセ・ハルトレムも詩人である。
彼は、こう言っている。「映画を作る時は、いつも心のこもった映画を作りたいと願っている。人生を映像に再現する場合、悲劇と喜劇を混ぜ合わせなければならない。なぜなら、人生は悲しいものであると同時に、少し滑稽なものであるから。"ギルバート・グレイプ”は、心の旅の物語である。」と。

 家族の絆、兄弟の愛情と憎しみ、青春の傷み、与える優しさ、愛に包まれること、そして未来への希望。この作品は、傷つきやすい我々すべてに捧げられた作品である。 
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バートン&デップコンビの第2弾

エド・ウッド

製作年度: 1994年 史上最低映画監督といわれたエド・ウッドの伝記映画
監督・製作: ティム・バートン 脚本: スコット・アレクサンダー  製作総指揮: マイケル・レーマン
キャスト: ジョニー・デップ/マーティン・ランドー/サラ・ジェシカ・パーカー/ビル・マーレイ                       パトリシア・アークェット/ジェフリー・ジョーンズ/ヴィンセント・ドノフリオ
音楽: ハワード・ショア

 ”シザーハンズ”でコンビを組んだ監督ティム・バートンと主演ジョニー・デップの第2弾である。
 この映画は、史上最低の映画監督と言われているエドワード・D・ウッド・Jr.通称エド・ウッドの奇想天外な半生を描いた伝記映画だ。
 
 何故彼が、史上最低の映画監督と謳われたのか?製作した映画がすべて興行的に失敗した為、常に赤貧にあえぎ、貧困のうちに没したからだろうか?作品が陳腐な怪奇映画とポルノが多かったからであろうか?
彼の映画よりも退屈で面白くない映画はざらにありそうだ。また大ヒット作であっても、見る人によってはエド・ウッドの映画にも及ばない駄作と感じることも考えられる。むしろ彼のファンと言われる映画監督にはティム・バートンを始め、ジョン・ウォーターズ、デヴィッド・リンチ、サム・ライミ、クエンティン・タランティーノなど、いずれも映画オタクが高じて自ら監督となった人間が多い。
彼の『史上最低最悪』という冠は、ある種の称号と見て良いであろう。

 エド・ウッドを演じるデップの表情が実に豊かだ。自分の作品に情熱を傾け、映画化するためのスポンサー探しに必死になる。常に低予算に縛られるため、大した役者は使えない。自分の恋人や友人を出演させざるを得ない。挙句の果てに峠を越えた往年の怪奇スターであったベラ・ルゴシ(マーティン・ランドー)と知り合い有頂天になって、彼を主役とした脚本を持ち込むが、今さら誰も相手にしてくれない。それでも彼は、今では誰も振り返らないルゴシのファンであり続け、彼との友情と尊敬の念を貫き通すのであった。

 この映画は、エド・ウッドの時代(1950年~60年)を再現するため、敢てモノクロで録られている。今では、全く陳腐に見える怪物を登場させたり、まるで学生が趣味で撮るような画像である。
自分は、実際のエド・ウッドの映画は観たことはないが、この映画を観る限り、彼は、観客の事を考えるより、自分の好きなテーマを自分の好きなまま録り続けた監督なのだと思う。
 
 時代の変化も考慮せず、周囲の声にも耳を貸さず、ひたすら自分の道を突き進んだ人だと思った。ある意味では信念の人であり、完全なオタクだったのだと思う。その辺をデップは、実にうまく演じている。目の輝き、あるいは受け入れられない悲しみ、女装趣味に恋人にも呆れられて去られてしまう。本人は、至って真面目なのだが、かえってそれが滑稽にさえ見える。

 この映画は、若い頃からエド・ウッドのファンだったというバートンが、デップと共に故エド・ウッドに捧げたオマージュであろう。
 バーで出会った尊敬するオーソン・ウェルズ(ヴィンセント・ドノフリオ)に諭された「夢のためなら闘え。他人の夢を撮ってどうなる?」という言葉が印象的であった。
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