映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ジョニー・デップの出世作

シザーハンズ


製作年度: 1990年 バートンとデップの初コンビ作品
監督・原案: ティム・バートン 脚本: キャロライン・トンプソン  製作総指揮: リチャード・ハシモト
キャスト: ジョニー・デップ/ウィノナ・ライダー/ダイアン・ウィースト/アンソニー・マイケル・ホール
      キャシー・ベイカー/ヴィンセント・プライス/アラン・アーキン
音楽: ダニー・エルフマン

 これまで、アメリカ・ニューシネマを中心に思い出に残る作品をレビューすることが多かったが、今や最も個性的な男優として、人気の高いジョニー・デップの出演作をレビューしていく。
 ”シザーハンズ”、この作品でティム・バートンは、初めてデップを採用し、この先理想的なコンビを作っていくことになる。デップにとっても彼の名を世に知らしめることになった記念作である。

 両手がハサミの人造人間が、街で巻き起こす騒動と、彼と少女との恋を描くSFフアンタジーである。
物語は、雪嵐の降る夜に孫を寝かしつけようとする祖母さんが、孫から『どうして雪が降るの?』と問われる所から始まる。お祖母さんが、雪にまつわる物語を語り始める。それが、両手がハサミの人造人間、エドワード(ジョニー・デップ)の話であった。

 この物語の始まり方は、ディズニーだ。日本の昔話も「昔々あるところに---」で始まる。
山の上にある幽霊屋敷のような研究所で、老発明家(ヴィンセント・プライス)が、人造人間を作り。何故彼の両手をハサミにしたのかは分らない。研究途中で発明家は亡くなってしまい、エドワードの手は、ハサミのままになってしまった。

 小さな町に住むボッグス一家は、夫ビル(アラン・アーキン)、妻ペグ(ダイアン・ウィースト)、高校生キム(ウィノナ・ライダー)、小学生ケヴィンの4人暮らしで、良心的な典型的なアメリカの家庭だ。町の風景も鮮やかな色彩で、家々もおとぎ話に出て来るようなディズニーの世界である。
 ペグは、化粧品のセールスをしてるが、新規開拓にと山の上の屋敷を訪ね、そこで出会ったエドワードに同情し、家へ連れて帰る。
 周囲からは奇異の目で見られていたエドワードだったが、彼にはハサミを利用して庭木を刈り込み、、彫像にする芸術家の才能があったり、近所の犬の毛や奥さん連中の髪をモダンにカットしたりで近所の人気者になっていく。
 ペグの娘キム(ウィノナ・ライダー>)に恋をするが、ハサミの手をした彼は、キムを抱くことが出来ない。
 
 これは、美しいラブストーリーでもあり、おかしくて哀しくて、詩的な夢幻世界に誘うハートフルなメルヘンである。どんなに愛していても、相手を傷つけてしまうこと。この映画では、それを身体的な形で見せているが、ハサミでなくても人には往々にしてあるものだ。ここに人の哀しさを感じる。
 そして、デップの表情が実に豊かだ。いや、全体に無表情だが、”目”の演技が素晴らしい。言葉にしなくても、キムを好きになった時の表情や、嬉しさ、楽しさ、哀しみをすべて目と体の動きで語っている。こういう心情をセリフなしで演じられるのが、デップの特徴だと思う。

 ハサミは、物を切るには便利なものだが、人を簡単に傷つけてもしまう。デップの哀しさは、この映画を観る我々のハートをも切り裂くのだ。

 クリスマスが近づいた夜、エドワードは氷で天使の彫刻をしていると、削った氷が雪のように舞う。その雪の中で踊るキムの姿は、幻想的な背景と共に美しい。しかし、やがて別れはやってくる。エドワードは、車に轢かれそうになったキムの弟を助けようとするが、逆にハサミで傷つけてしまう。町の人々の非難の中、エドワードは山の上の屋敷に逃げ込む。キムは皆にエトワードは死んだと告げた。
 
 実は冒頭の祖母はキムであり、数十年たった今も、エドワードはキムのために氷の雪を降らし続けているのだった。

 結局二人は結ばれなかった。しかし、雪が降るたびにお互いを想う心は、永遠に変わらない。雪に託した切ない愛のドラマである。
 
 デップのこれからの演技の幅を充分予感させる作品であった。
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コッポラとルーカスのコンビが描く青春の群像

アメリカン・グラフティ

製作年度:1973年
監督・脚本: ジョージ・ルーカス  製作: フランシス・フォード・コッポラ
キャスト: リチャード・ドレイファス/ ロニー・ハワード/チャーリー・マーティン・スミス/
      ポール・ル・マット/シンディ・ウィリアムズウルフマン・ジャック / ハリソン・フォード

 この映画を語らずして、自分の青春は語れない。誰もが持っている青春の1ページ。清々しく、微笑ましく、そしてすべての人をあの青春時代へと誘う映画だ。
 
 ガールハントのため、街を流す様々な車のカーステレオから流れるロックンロール・ミュージック。車とファッションと音楽の洪水。実にアメリカ的な映画だ。1944年生まれのジョージ・ルーカスは、この年29歳。映画の背景となっている年は、1962年である。11年前の彼は、まだ学生で、その時代(ロックンロール・ジェネレーション)を懐かしんで作ったといえるだろう。
 1962年体験をくすぐるこの映画のアメリカでの宣伝文句は、「あなたは1962年にはどこにいたか?」と観客への画面参加を呼び掛けている。
 それほど、この映画には1962年のアメリカのリアリティがあり、あの時代を知っている人へ、懐古させる。いや知らない人にだって、それぞれの1962年(青春時代)はあるのだ。

 自分の1962年は小学生だったし、リアルタイムの感覚はないが、映画が作られた1973年は、大学2年だったので、大いに青春していた。前にも書いたように、自分の学生時代に開演前から長蛇の列をなして映画館前に人が並んでいた映画は、”ゴッドファーザー”とこの”アメリカン・グラフティ”だけであった。

 アメリカン・グラフティに出てくる4人の仲間の車であるが、カート(リチャード・ドレイファス)が、シトロイエン、スチーブ(ロニー・ハワード)が、58年型シボレー、ジョン(ポール・ル・マット)が、32年型カスタム・フォードのデュース・クーペ、テリー(チャーリー・マーチン・スミス)だけが、スクーターのベスパであった。
 
 カーラジオから流れてくる、1955年“暴力教室”の主題歌に使われてヒットした”ロック・アラウンド・ザ・クロック”(ビル・ヘイリーと彼のコメッツ)で始まるこの映画のロックン・ロールナンバーは41曲。ほとんどが50年代から60年初期のナンバーだが、中には、62年以降の曲も挿入されている。つまり、挿入歌は映画の背景となっている62年のヒット・パレードではないのだ。ここにルーカスのロックンロール・ジェネレーション全体へのオマージュを感じる。

 車・音楽ときて、次はファッションだ。これもロックンロール・エイジに合わせた、男女ともにアイビーやヤンキールックである。これもノスタルジーを感じさせる。
そして、車を駆ってのガールハント。若者なら誰しも経験あることだろう。
 この映画にストーリーらしいストーリーはない。そこに描かれているのは、4人の若者の夏の日の1日だけだ。車と音楽と若い男女。それだけで充分だ。理屈なしにあの時代に帰れる。

 1962年というと、この年の10月にイギリスでは、ビートルズが”ラヴ・ミー・ドゥ”でレコードデビューしている。ここからロックそのものが変わっていくのである。
この映画の挿入歌のような、単純なロックンロールは終焉し、60年代後半には、より前衛的なアート・ロック、ニュー・ロック、プログレッシブ・ロックへと変遷し、音楽系統もロックは、フォークやブルース、ジャズやラテン、クラシックなどと融合し、色々な流派を産みながら70年代へと突入していくのである。
 
 ルーカスは、この単純だった62年を懐古し、多くの人に自分たちの一番良かった時代、青春時代を取り戻してもらいたいとの気持ちを込めてこの映画を作ったと自分には思える。
 
 映画のラスト近く、ジョンと路上でスピードを競うボブファルファの役として、のちの大スターとなるハリソン・フォードが登場しているのも興味深い。リチャード・ドレイファスは、コッポラのお気に入りで、この後も彼の作品に多く登場することになるし、ロニー・ハワードは、俳優というより、今や映画監督として大成功している。3人の俳優にとってもこの映画への出演は、大変意義あるものだったといえる。

 当時を知っている人は勿論のこと、知らない人も自分たちの1962年を、この映画を観ることで取り戻して欲しい。
ゴッド・ファーザー パートⅡ

 1974年度アカデミー賞6部門受賞(作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞、美術賞、劇音楽賞)

監督:フランシス・フォード・コッポラ  原作:マリオ・プーゾォ
キャスト:ロバート・デ・ニーロ/アル・パシーノ/ダイアン・キートン/ロバート・デュバル/
     ジョ ン・カザール/タリア・シャイア/リー・ストラスバーグ/マイケル・V・ガッツオ
音楽:ニーノ・ロータ

 以前パートⅠを記したが、”ゴッドファーザー”は、ⅠとこのⅡで完結するコルレオーネ ファミリーの一大叙事詩となっている。
 パートⅠでは、一家のドンをマーロン・ブランドが演じたが、パートⅡでは、若き日のビトー・コルレオーネをロバート・デ・ニーロが演じている。のちにファミリーの幹部となるクレメンツァ(B・カービー・Jr)やテッシオ(ジョン・アブリア)も登場し、若い頃からビトーを助けている。

 パートⅠは、ビトーがすでに大物のドンとなっており、彼の三男マイケル(アル・パシーノ)が、本人の意思に反して、マフィアの後継者となっていく話である。
 パートⅡはビトー(オレステ・バルディーニ)が9歳の時、マフィアのボス、チッチオ(ジョー・スピンネル)に殺され、シシリーから船に乗ってアメリカに渡ってくるところから物語は始まる。
 自由の国アメリカの地を、船から見ているビトーの目が印象的だ。しかし、希望を胸に抱いた若者が知った現実は、厳しかった。パン屋の店員の職にしか就けず、その職も街を牛耳るボス、ファヌッチ(ガストン・モスキン)に彼の甥っ子を無理やり職に就かすよう店主が強要され、去ることになった。
 やがてビトーは、街の祭りの日にファヌッチを殺害し、徐々にのし上がっていくのであった。若い頃から彼にはリーダーシップがあり、街の人々にも尊敬されていた。

 パートⅡは若き日のビトーと、父の後を継いでファミリーのドンとなった息子マイケルの現在が、オーバーラップし、場面が次々変わっていく。パートⅠも見ていないと時間の流れがつかみにくい。
しかし、この場面切り替えの中に、親子の絆を感じる。息子は、偉大な父の後継者としてのプレッシャーを常に感じながらも、ファミリーをまとめていく。時には非情なまでに、裏切りは許さない。マフィアのファミリーとは、血の通った家族だけを指すのではなく、仲間・同朋、子分たちも含めた広い意味での組織なのだ。それを守るためには、女房であっても兄弟であっても切り捨てる。
 マイケル演じるアル・パシーノの表情が、厳しく険しく変わっていく演技が見事だ。圧巻は、マイアミの大ボス、ハイマン・ロス(リー・ストラスバーグ)を追い詰めていく場面だが、派手な銃撃戦はない。
 ゴッドファーザーには、他のギャング映画と違い、派手なドンパチやカーアクションとかはない。
にもかかわらず、いやだからこそ、現実感を感じ、マフィアの恐ろしさがヒシヒシと伝わってくる。派手なアクション映画は、見ている時や終わった直後は、その爽快感やスリルを感じるが、あとに残るものがない。

 ゴッドファーザーには、いつまでも深く心に残るものがある。それは、ビジネスに賭ける男の姿だったり、息子を想う愛情、仲間との信頼関係・友情、裏切りや妥協をを許さない強さだったりする。甘い男女の恋愛感情は、あまり描かれていない。恋愛よりも大切な物。まさに男の世界だと思う。

 DVDだと パートⅠとパートⅡに分かれているが、LDには、時系列を追ったゴッドファーザー サーガが出ている。ストーリーだけを追うなら、こちらの方が流れがわかりやすい。こちらを観たあとに、分離したDVDを観ることを勧める。DVDには、場面変化の面白さ、カラワークの妙味を感じる。

 ラスト、初老に達したマイケルが、一人湖畔の椅子に座り、亡き父ビトーの愛情に満ちた偉大な生涯(彼は自分の妻も大事にし、家族を守った)を想い、自分は父のようにできなかった(組織は父より大きくしたが)自分の孤独に胸を痛める姿が、実に印象的であった。

 薄っぺらな友情や恋愛が、まかり通っている今の世の中、若者に観て貰いたい”男”の作品である。
自分が当時、一番好きだったデ・ニーロとアル・パシーノの共演というのもたまらない。この二人には、本物の”男”を感じさせる。
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