映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ファイブ・イージー・ピーセス

1971年 仕事からも家庭からも、愛することさえからも離反する無目的に生きる男の姿を描く
      最後のアメリカ・ニューシネマ
監督 : ボブ・ラフェルソン  製作 :ボブ・ラフェルソン/リチャード・ウェクスラー  
脚本 : アドリエン・ジョイス ストーリー:ボブ・ラフェルソン/アドリエン・ジョイス
キャスト : ジャック・ニコルソン/カレン・ブラック/ビリー・グリーン・ブッシュ/ファニー・フラッグ
主題歌 : スタンド・バイ・ユア・マン/ディボース/あなたが心を燃やす時(タミー・ウィネット)

 ファイブ・イージー・ピーセスとは、”五つの易しい曲”という意味だが、冒頭タイトル・バックに流れる”スタンド・バイ・ユア・マン”をはじめ、タミー・ウィネットが歌うカントリー・ソングは、4曲しか挿入されていない。となると、ショパンやモーツァルトのクラシックのピアノ曲5曲を指しているのであろう。

 主人公ボビー(ジャック・ニコルソン)が、テキサスの油田で働く姿をスケッチしながら、この映画は始まっている。
彼の育った家庭は、クラシックの音楽一家であったが、彼はピアニストとしての将来も家庭も、そして自分自身も捨ててしまった。彼にとっては、決して”易しい曲”ではなかったのだ。

 彼の恋人レイ(カレン・ブラック)にとっての”イージー・ピーセス”は、カントリー・ソングである。つまり、この映画は、ボブ一家のクラシック党とボブの恋人や友人のカントリー党とを対比している。
両者は、相手の嗜好を全く理解しようとはしない。特に前者は、クラシックだけが音楽と信じ、大衆音楽の価値を認めないばかりか、後者の人間までを軽蔑している。

 自分も音楽は好きだが、良いものはジャンルを超えて良い。クラシックだって演歌だってその表現方法が違うだけなのだ。その”こころ”は同じだが、人によって安らぎ方が違うだけだと思っている。
 
 ボビーは、石油採掘現場でその日暮しを送っている。ある日、町の放送局へ姉のティタ(ロイス・スミス)を訪ね、父が卒中で倒れたことを知る。
恋人のレイを連れ、車で実家に向かう。途中、アラスカに向かう二人連れの女ヒッピーに出会う。
「アメリカは、ゴミに溢れている。ゴミがどんどん増えて汚れてきている。人間の住む所ではなくなってきている。人間も不潔だ」と、彼女らに言わしめるラフェルソン監督だが、「本物のアメリカを求めて」と口走る”イージー・ライダー”の主人公たちの空々しさは、この映画のテーマではない。
 主人公ボブの生き方は、もっとやるせなく、救いようがない。病める母国を批判や攻撃するでもなく、そこから抜け出すことしかない。
 実家に戻ったボブは、兄嫁のキャサリン(スーザン・アンスパック)と関係を持ってしまうが、彼女から「自分も仕事も他人も愛せないあなたが、なぜ愛を求められるのか?」となじられる。このときのニコルソンの表情。屈辱の怒りと悲しみと淋しさーーー。
 車イスに座ったまま物言わぬ父に向かって「自分が家を出たのは、何かを求めたからではなく、悪くなるものから逃げ出すため、自分がいなくなれば万事うまくいく」と、涙ぐむ彼。

 恵まれた環境から抜け出したボビーの苦悩は、何のために生きていくのかという若者の苦悩である。結局最後は、別れも告げず、恋人レイからも去っていく彼。どこへ行くあてもなく、無目的にトレーラーに乗ってしまうところで物語は終わる。

 この映画はハッピーエンドではないし、我々に教訓めいた事を残す訳でもない。むしろ、やるせないラストだが、それが妙に心に残る。青年の苦悩を描いた珠玉の名作だと思う。
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