映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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父と娘と歌の記憶

耳に残るは君の歌声

製作年度: 2000年  ユダヤ人の娘が激動の時代を渡り歩いてゆく大河ドラマ     
監督: サリー・ポッター  製作総指揮: ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー  
製作: クリストファー・シェパード  脚本: サリー・ポッター  音楽監修: サリー・ポッター
キャスト: ジョニー・デップ/クリスティーナ・リッチ/ケイト・ブランシェット/ジョン・タトゥーロ/オレグ・ヤンコフスキー/ハリー・ディーン・スタントン

 1927年のロシア。ユダヤ人の少女フィゲレは、村を襲った暴動から逃れ、父親(オレグ・ヤンコフスキー)とも別れて、ロンドンへ。スージーと名付けられた彼女(クレスティーナ・リッチ)は、10年後、コーラス・ガールとしてパリで働くことになった。やがてジプシーの青年チェーザー(ジョニー・デップ)と恋に落ちる。
だがナチスによる第二次大戦の影が、パリにも迫ってきた。チェーサーと別れたスージーは、ハリウッドに父を探す旅に出て、苦難の末に瀕死の老人となっていた父と再会するという感動のドラマである。

 しかし、映画は淡々としており、スムーズな流れにもなっていない。画面にも色彩がなく、戦時下という事か暗い。その割には、第二次大戦時の戦争の背景も強く伝わって来ない。テーマは、大きいが印象に残らない作品であった。
タイトルとデップが出演しているというだけで、作品に期待した自分は、がっかりした。
デップの登場シーンも少なく、ほとんど印象に残らなかった。

 自分は、ジョニー・デップ出演作品について、時代を追って書いているため、この映画も取り上げたが、ハッキリ言って、デップの作品の中では最低だと思う。

 わずかに、幼くして父と別れた娘が、瀕死の父と再会する場面が感動的であった。
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母と娘の間で揺れ動くデップ

アリゾナ・ドリーム

製作年度: 1992年  不毛の地アリゾナを舞台に奇妙な登場人物たちが織りなす、人間喜劇   
監督: エミール・クストリッツァ  製作総指揮: ポール・R・グリアン
脚本: デイヴィッド・アトキンス  音楽: ゴラン・ブレゴヴィッチ( ロック・グループ ホワイト・ボタン)
主題歌: イン・ザ・デス・カー(ゴラン・ブレゴヴィッチとイギー・ポップの競作) 
キャスト: ジョニー・デップ/ジェリー・ルイス / フェイ・ダナウェイ / ヴィンセント・ギャロ / リリー・テイラー / ポーリーナ・ポリスコワ

 この作品は、旧ユーゴスラヴィア、サラエボ出身のエミール・クストリッツァ監督が初めてアメリカを舞台に選び、異邦人の目から見たアメリカン・ドリームとその夢の墓場を、不思議な浮遊感覚で描いている。

 漁業局で毎日、魚を数える仕事をしているアクセル(ジョニー・デップ)の夢は、アラスカでオヒョウを釣り上げること。故郷アリゾナから叔父レオ(ジェリー・ルイス)の使いでポール(ヴィンセント・ガロ)が現われ、レオの結婚式の介添人を努めてくれと言い、アクセルを連れに来た。
 ポールの夢は、映画スターになること。レオの手伝いで車のセールスを始めたアクセルの前に、未亡人のエレイン(フェイ・ダナウェイ)と義娘のグレース(リリ・テイラー)が現われる。夫を射殺した過去のあるエレインの夢は空を飛ぶことで、自殺願望のある娘の夢はカメになること。

 このように、登場人物たちは、それぞれの夢を持っている。エレインに一目惚れしたアクセルは、彼女のために飛行機を作る。しかし彼は、エレインの娘のグレースとも関係を持ってしまう。母娘の間で彼の心は揺れ動いた。この辺りは、「アメリカン・ニューシネマ」の”卒業”を思い起こさせる。これも監督の「アメリカン・ドリーム」であろう。つまり、タイトルのごとく、アリゾナにおけるドリームなのだ。
皮肉なことに、キャディラックのディーラーをし、最もアメリカン・ドリームを信じていたレオは、新婚早々自殺してしまう。アクセルに対して「キャディラックは時代遅れだ。お前も大人になれ」と言い残して。

 常に若い男を求め、恋する母エレインを憎むグレースは、何度も狂言自殺を母親の前で謀るが、ついに愛するアクセルを母親に取られたとして、二人の前で拳銃自殺する。
 アクセルはアメリカにはもう、夢など残っていないことに気づく。最後に彼は、アラスカでレオとオヒョウを釣り上げる夢を見た。レオの手にしたオヒョウが空を泳いでいった。

 アメリカン・ドリームを追った登場人物たち。叶わぬ夢と自殺するレオとグレース。恋多きエレインも幸せであったのだろうか?映画スターを夢見るポールも夢でしかない。アクセルも母娘と関係を持ってしまったが、彼が本当に愛したのはどちらだったのだろう?最後に彼が見た夢ーーー。

 夢やロマンがなければ人生は空しい。しかし、叶わぬ夢を追うのも空しいかも知れない。
どんなに相手を愛してもーーー報われなければ空しいものだ。

 この映画の背景カラーには鮮やかさがない。不毛の地アリゾナで見た人々の夢は不毛のもであったのかもしれない。見終わった後、索莫とした寂寥感に襲われた。
愛する事は誰でも出来る。愛されることこそ大切な人生なのだ。
すべての人が、夢見ていたあの頃、そんな時代はもう終わったのかもしれない。
若き日のデップの恋

マイアミ・ホット・リゾート

製作年度: 1985年  リゾート地・マイアミで様々な騒動を繰り広げるドタバタ青春コメディ   
監督: ジョージ・バワーズ  脚本: ゴードン・ミッチェル  
キャスト: ジョニー・デップ/ロブ・モロー/カリン・オブライアン/エミリー・ロングストレス

 マイアミと聞くだけで血が騒ぐ。すぐ目に浮かぶのは、常夏のビーチと、そこに群がる美女・美女・美女。中年親父でさえ、クラクラッと来るのだから、健康的な若い男にはたまったもんじゃないだろう。
それこそ全身が疼くっていうものだ。若かりし頃、誰でも経験があろうが、年中SEXのことしか頭にない。特に夏になると、アバンチュールを求めて、東京育ちの自分は大島や新島、式根島などに出向いたものだ。(当時は学生の身分で、海外など行けなかったから)
 でも、よく言われるように、夏の恋は続かない。島が独特の雰囲気にさせるのだ。都会に戻ってから逢ってみても、そういう雰囲気にはなれない事が多かった。

 ”マイアミ・ホット・リゾート”は、自分ら親父に、青春を思い出させる作品だ。
この手の映画は、イスラエルの”グローイング・アップ”、イギリスの”さらば青春の光”などアメリカ映画以外にも多々あるが、”ウエスト・サイド・ストーリー”、”理由なき反抗”、”おもいでの夏”、”青春白書”など、やはりアメリカが一番合っている。底抜けの明るさに欠け、貞淑が美徳とされ、ハニカミ屋の多い日本では、あり得ない。学生時代の自分なども、周りから奇異な目で見られていた。

 ジョニー・デップには、アメリカの代表的青春スターである”理由なき反抗”主演のジェームズ・ディーンの面影がある。両者ともハンサム・ボーイだし、哀しげな眼をしており、時に男の影を見せる。自分は、そういった俳優が大好きだ。日本人には、あまりいないタイプである。気障なようだが、自分はそんな男を目指してきた。
 
 自分は、今でも恋している。50過ぎの親父が~、と人には笑われるだろうが、年の事を思ったらそれだけで老ける。気分だけは、いつまでも若くいたいものだ。その人を想うだけで、ハラハラ・ドキドキ、胸を締め付けられる思い。人はいつしか、そんな気分を忘れている。ある人が言った。「自分は片想いが好きだ。その方が、ハラハラ・ドキドキが続く」ーーーと、でも自分は嫌だ。それじゃ明日がない。今はダメでも、将来はーーー、という夢がなければ、希望も生甲斐も無くなる。
 
 一体、人は何のために生きているのだ。金?名誉?名声?そんなものは、時間と共に忘れられる。まして金なんぞ、生きる手段であって目的ではない。
「肉体が滅んでも魂は残る」とは、よく言われる事だ。しかし、魂は見えないし、死後の世界から戻った人はいない。この世に未来永劫なんてものはないのだ。

 人の心は掴みにくい。一生同じ気持などあり得ないし、常に迷い、揺れるものだから。言葉は所詮無力だし、いくら片方が「愛してる、愛してる」と言い続けても、相手が他の者に決めていれば、変わる訳がないのだ。そんな事は、映画の世界だけである。だから我々は、映画の世界に憧れ、映画のような恋をしてみたいのだ。それは、虚構の世界である。でもそれによって、チョッピリでも夢が見られれば良いのだ。

 この映画も、そんな現代人が忘れているモノを思い出させる作品だ。ストーリーは単純だし、特に取り挙げるものはない。SEXのことしか頭にない二人の青年が、夏の間、リゾート地のホテルに滞在し、彼女をモノにしたいというよくある話だ。他の滞在客も、夫婦生活のマンネリ化を感じ、若い男とアバンチュールを楽しみたいと思っている人妻。ウエイトレスをしながら、甘い恋を夢見る少女。職権で、その彼女をモノにしようと狙うレストランの支配人。筋骨隆々の女ジゴロなど、色んな人間関係が絡み合ったドタバタ劇である。別に考える事もなく、見たままをストレートに楽しめば良い能天気な映画である。

 青春を忘れている中年諸氏、今青春真っ盛りの青年諸君。男の立場からも女の立場からも、すべての人の共通のテーマである。この世には、男と女しかおらず、”恋愛”は、人として永遠のテーマなのだから。

「人間は、恋と革命のために生きる」太宰治の言葉である。
ジョニー・デップの初主演作品

クライ・ベイビー

製作年度: 1990年  能天気なラヴコメディの青春ミュージカル 
監督・脚本: ジョン・ウォーターズ  製作総指揮: ジム・エイブラハムズ、ブライアン・グレイザー   
音楽: パトリック・ウィリアムス ロックン・ロール・オールディーズ
キャスト: ジョニー・デップ/エイミー・ロケイン/スーザン・ティレル/ポリー・バーゲン/イギー・ポップ/リッキー・レイク/トレイシー・ローズ/ウィレム・デフォー

 ジョニー・デップは、1963年6月9日、ケンタッキー州で生まれ、12歳の時にギターを手にしている。バンド活動を続け、”ザ・キッズ”と言うロック・バンドを結成した。本格的なミュージシャンを目指し、ロサンゼルスにやって来たが、ニコラス・ケイジの勧めで俳優に転向している。

 ”エルム街の悪夢”や”プラトーン”にも出演したが、目立った役ではなかった。自分は、両作品も見ているが、デップの事は、全く印象に残らなかった。
 
 1990年、デップ27歳にして、初めて手にした主役作品が、この”クライ・ベイビー”である。
ストーリーはごく単純な青春ラヴコメディ。1954年のアメリカ・ボルチモアを舞台に、不良グループのリーダー(デップ)とお嬢様(エイミー・ロケイン)が恋に落ち、グループを巻き込んで大騒動を繰り広げるという話だ。

 この作品は、デップ初の主演映画と言うこと以外には、あまり知られていないと思うが、出演者は凄い。デップの恋人アリスン役エイミー・ロケインも初主演だが、脇を固めるメンバーは、不良グループに、ヒット作”ヘアスプレー”のリッキー・レイクやポルノの女王トレイシー・ローズ、アリスンのおばあちゃん役は、人気テレビドラマ”デスパレートな妻たち”のポリー・バーゲン、ロック歌手のイギー・ポップや大物ウィレム・デフォーまでチョイ役で登場する。
 他のデップ主演の作品で、イギー・ポップは、”デッドマン”と”ブレイブ”に出演しているし、デップがチョイ役だった”プラトーン”の主役は、ウィレム・デフォーである。

 皮ジャンにリーゼント姿のデップは、キング・エルヴィス・プレスリーを思わせる。27歳のデップが、10代のツッパリ役を堂々とこなしている。実に若い。全編を彩るフィフティズのロックンロール・ナンバー。彼が本当に歌っているのかどうかは、良く分からないが、ロックミュージシャンを目指していただけに、ギター姿は様になっている。青春ミュージカルは、”ウエスト・サイド・ストーリー”やジョン・トラボルタの”グリース”を思い起こさせるし、ラスト近くのチキン・レースは、ジェームズ・ディーンの”理由なき反抗”を思い起こさせた。

 ”クライ・ベイビー”とは、デップが感極まった時に流す『一粒の涙』から取られた彼の仇名だが、金持ちグループと喧嘩して監獄に入れられた彼は、アリスンを想い、涙の入れ墨をする。
 恋と音楽と喧嘩とカーレース。青春物につきもののありきたりの話だが、デップファンにはたまらないと思う。若き日の彼が、縦横無尽のノリノリの大暴れだ。もうこういった作品に出られる年ではないし、彼にとっては、忘れられない作品であろう。この後、”シザー・ハンズ”を始め、変わった役柄が多くなっていく彼であるが、この映画はごく自然で、素顔の彼が見られる。

 ”パイレーツ・オブ・カリビアン”以降のデップファンも、彼の記念すべき作品であり、若き日の彼の素顔に触れて欲しい。また、プレスリーやジェームズ・ディーンのファンにも、彼らとの共通点をデップに見て欲しい。
デップの現代版”愛の貴公子”

ドンファン

製作年度: 1995年  現代のN.Y.に現れた、伝説の伊達男ドンファンを名乗る正体不明の青年
監督・脚本: ジェレミー・レヴィン 製作: フランシス・フォード・コッポラ
音楽: マイケル・ケイメン  主題曲: ブライアン・アダムス(リアリー・ラヴド・ウーマン)
キャスト: ジョニー・デップ/マーロン・ブランド/フェイ・ダナウェイ/ジェラルディン・ペラス/ボブ・ディシー/レイチェル・ティコティン/タリサ・ソト/リチャード・サラフィアン

 引退を間近に控えた精神科医ジャック(マーロン・ブランド)は、ビルの屋上から飛び下り自殺を図ろうとした青年(ジョニー・デップ)を説得し、ビルから降ろし、精神病院へ連れて行く。自殺しようとした原因とは?
青年は、「私の名はドンファン・デマルコ。愛の貴公子」と語り、不思議な愛の遍歴を語り始める。

 元々、ドンファンとは、17世紀スペインの伝説上の放蕩児、ドン・フアン・テノーリオのことで、プレイボーイの代名詞として使われる。
 自らをこのドンファンだと語る青年の本名はジョニー・デマルコ。彼の話はどこまで本当か分からない。精神病院の医師たちは、彼を「虚言症」だと断定する。しかし、ジャックだけは、ジョニーに興味を持ち、10日後に引退が決まっているにもかかわらず、自分が治療にあたりたいと申し出る。薬を投与せよという院長の指示も無視して、じっくりジョニーの話を聞くことにする。

 彼の話というのはーーーー。情熱的に自分の女性遍歴を話す彼の話に、「燃え尽き症候群」だったジャックの心に訴えかけ、しばらく冷めていた妻マリリン(フェイ・ダナウェイ)との関係にも火をつける。
 ジョニーの話は、最後まで彼の創作かどうか分からない。しかし、罪の意識から仮面を付け続けていたことや、彼の態度、身振りをつけて話す、話の内容。いかにも本当に思える。
この辺が、デップの今までの役どころと違うところだ。『眼だけで演技が出来る役者』と、再三書いてきたが、今回、ジャックに語る彼の表情は、実に豊かなのだ。無論仮面をつけていた時だけは、眼しか見えないが。
 じっと聞いているマーロン・ブランドの演技にも、さすが大物ぶりが漂っている。帰宅後のマリリンとの絡みも、会話だけでなく、長年連れ添った夫婦の生活感が実に出ている。

 3人とも大した役者である。この映画は、派手なストーリー展開も、アクションもない。会話がすべてなのである。
ジョニーの身元が知れ、彼の祖母を訪ねたジャックは、「孫の話はすべて夢物語。メキシコに住んだこともないし、彼の父親は交通事故で死んだ。」と言う。さらに、「女の子にモテたことなどなく、ポスターのピンナップ女性に憧れていただけ。」だと言う。
 祖母の話を聞いて、ショックだったジャックだが、彼には、どうしてもジョニーの話が出鱈目だとは思えないのだ。
やがて、ジョニーの言葉どおり、母親が尼僧姿で現れ、「あなたの真実は、あなたの心の中にあります」とジャックに告げた。この言葉が印象的である。人間は、誰しも仮面を被っているし、人の言葉など所詮、真実かどうか分からない。自分は、ここで芥川龍之介の”藪の中”を思い出した。

 ジャックはジョニーの話を信じたが、周囲はそうはいかず、ついに彼は審問会にかけられることになる。当日、彼は審問官に、クイーンズで生まれ、ピンナップガールに失恋した過去を語り、退院を許可された。
 現役を引退したジャックとマリリンはジョニーを連れ、彼の話に出てきた“エロス島"に向かう。そこで彼等が目にしたのはーーーー。

 この作品は、単なるおとぎ話であろうか。デップが演じたドンファンとは?そして彼の話は?
監督ジェレミー・レヴィンは、それらの判断を観客に委ねているのである。
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