映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ありきたりな日常生活を侵食する、魅惑のミラクル・

ワールド


チャーリーとチョコレート工場

製作年度: 2005年 噂の極秘チョコレート工場が、ついに世界に公開される。
監督: ティム・バートン 製作総指揮: パトリック・マコーミック/フェリシティー・ダール/マイケル・シーゲル/グレイアム・バーグ/ブルース・バーマン 製作:リチャード・D・ザナック/ブラッド・グレイ 脚本: ジョン・オーガスト 原作: ロアルド・ダール 音楽: ダニー・エルフマン
キャスト: ジョニー・デップ/フレディー・ハイモア/デヴィッド・ケリー/ヘレナ・ボナム=カーター/ノア・テイラー/ミッシー・パイル/アナソフィア・ロブ/ジェームズ・フォックス/ジュリア・ウィンター/アダム・ゴドリー/ジョーダン・フライ/フランツィスカ・トローグ ー/フィリップ・ウィーグラッツ/ディープ・ロイ/クリストファー・リー

 昨年のバレンタインの前には、デップ出演の「ショコラ」をレビューしたが、今年は、「チャーリーとチョコレート工場」を紹介する。
 
 この作品のオリジナルは、1971年に制作された「夢のチョコレート工場」で、34年ぶりのリメイク版となる。
原作は、ロアルド・ダールが著した「チョコレート工場の秘密」である。同書はイギリスで子供が好きな本として、「ハリー・ポッター・シリーズ」、「指輪物語」に次ぐロングセラー小説として、長い間読み続けられている。
子供だけでなく、一度読んだら忘れられない強烈なインパクト、ひと癖もふた癖もある登場人物たち、容赦のないブラックユーモアは、大人をも夢中にさせる。

 この名作に、バートン&デップのコンビが、映画として4回目のコラボを組み、挑んだ訳である。同コンビは、「シザーハンズ」、「エド・ウッド」、「スリーピー・ホロウ」(いずれも紹介済み)でタッグを組み、すべて成功している。
デップもバートンと巡り会わなけれが今日がないと言っても過言ではなかろう。

 「ウォンカ製の板チョコに入った”金のチケット”を引き当てた5人の子供とその保護者を、チョコレート工場に招待する」
と、工場主のウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が声明発表した。
世界中の子供たちが、競ってチョコレートを買い漁り、”金のチケット”争奪戦が始まった。
 なぜなら、毎日大量に出荷され世界中で飛ぶように売れているウォンカのチョコレートであるが、この15年間、運搬車を除けば、工場に入った者も、出て来た者もいないのであった。
チョコレート工場の中はどうなっているのか、世界中の関心事であったのだ。

 世界中が注目する中、次々と現れる当選者たち。
1人目は、食い意地の張った食いしん坊の肥満児オーガスタス・グループ(フィリップ・ウィーグラッツ)。毎日チョコレートを食べまくって、最初のチケットをゲットした。
2人目は、大金持ちの我儘娘ベルーカ・ソルト(ジュリア・ウィンター)。父親(ジェームズ・フォックス)の財力にものを言わせて、チョコレートを買い占め、金に飽かせてチケットを買い上げた。
3人目は、あらゆる賞の獲得に執念を燃やす賞獲り少女バイオレット・ボーレガード(アナソフィア・ロブ)。常に勝つ事をけしかけるステージママ(ミッシー・パイル)とタッグを組んで、チケットを奪取した。
4人目は、ゲームおたくの少年マイク・ティービー(ジョーダン・フライ)。天候と株価の動きを参考に生産日からチケットの所在を確定し、チョコレートをたった1枚買っただけで当てた。
残ったチケットは1枚。最後のくじを引き当てる幸運な子は?

 チャーリー・パケット少年(フレディー・ハイモア)の家の貧しさといったらそれは悲惨なものだった。傾き、今にも壊れそうな小さな家に、一家7人で暮らすパケット家。失業中の父(ノア・テイラー)と母(ヘレナ・ボナム=カーター)に祖父母が二組。4人の祖父母は、ほぼ寝たきり老人で、家に一つしかないベッドに互い違いに横たわっていた。食事といえば、水で薄めたキャベツのスープ。
 でもチャーリーは幸せだった。年に一度、誕生日に買って貰える大好きなチョコレート。それを1カ月かけてチビチビと少しずつ食べるのだった。
そんなチャーリーが、最後の一枚のチケットを手にするのは絶望的だった。ところが、道端で拾ったお金でチョコレートを買うと、最後のチケットがチャーリーに転がり込んできた。寝たきり祖父母の一人で、昔はチョコレート工場で働いていたジョーおじいちゃん(デヴィッド・ケリー)は、当選の知らせに、生き返ったようにベッドからとび起きた。

 こうして、当選した5人の子供たちが、保護者に付き添われてチョコレート工場の前に立った。出迎えたのは、15年も工場に引きこもっていた伝説の工場主ウォッカ氏。前髪を揃えたオカッパ頭にシルクハット、真っ白い顔に笑顔を浮かべて、工場見学の案内役を務めた。
そこで、一同が目にした光景はーーー。流れるチョコレートの川、ねじれたキャンディー棒の木、ミント・シュガーの草花、砂糖菓子の船、そこで働くウンパ・ルンパ(ディープ・ロイ)たち。

このチョコレート工場の秘密とは?
個性派揃いの、5人の子供たちを待ちうけている彼等の運命とは?
果して、”金のチケット”は、本当に彼等に幸運を呼ぶのか?

 まず、原作のイマジネーションに驚かされる。それを具体的に映像化する鬼才バートン。ウォンカの不思議な世界を十分堪能して頂きたい。
工場の中には色んな部屋があり、どの部屋にもこだわりがある。CGも使われているが、実際に作られたセットが凄い。極彩色のミラクルワールドだ!
鮮やかな色彩のおとぎの国、まるでオモチャ箱をひっくり返した楽しさ、部屋にある仕掛けの数々、チョコレートを作るウンパ・ルンパとは?

 ファンタジーの世界が、色彩とミュージックで繰り広げられる。子供たちのまつわるテーマ曲も作られている。エスニック調、ファンク調、フォークソング調、ロック・オペラ調ーーーまるで違うメロディ・ラインを生み出し、子供たちの個性を演出している。

 そして、時折、遠くを見るような寂しげなウォンカ氏の横顔。彼の胸に去来するものは何?
スポイルされる子供たちに向ける意地悪な視線。デップはこの作品でもエキセントリックなウォンカ氏の役を見事にこなしている。どうして、ウォンカ氏がエキセントリックな人間になってしまったのか?
15年間も人前に姿を見せなかった訳は?
その辺は原作になかったものを付け足したという。
チャーリーを演じるハイモア少年とは、「ネバーランド」で、デップは共演している。

 世界一オカシな工場見学へ、貴方も参加して欲しい。日常では考えられない魅惑の世界へ旅立てる。色んなレシピの中で、感動という隠し味も味わえるはずだ。
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「ピーターパン」に秘められた劇作家と少年の実話

ネバーランド

製作年度: 2004年 ピーターパンのモデルとなった少年と劇作家の感動作
監督: マーク・フォースター 製作総指揮: ボブ・ワインスタイン/ハーヴェイ・ワインスタイン/ミシェ      ル・サイ/ゲイリー・ビンコウ/ニール・イスラエル  製作:リチャード・N・グラッドスタイン      / ネリー・ベルフラワー  脚本: デイヴィッド・マギー 音楽: ヤン・A・P・カチュマレク
キャスト: ジョニー・デップ/ケイト・ウィンスレット/ジュリー・クリスティ/ラダ・ミッチェル/ダスティ        ン・ホフマン/フレディ・ハイモア/ジョー・プロスペロ/ニック・ラウド/ルーク・スピル/        イアン・ハート/ケリー・マクドナルド      

 ネバーランドーーー決してどこにも存在しない国。そこに住むピーターパンは永遠に年を取らない冒険好きな純粋な少年である。世界中の誰もが知っているこのピーターパンには、モデルとなる少年の存在があった。少年ピーター・ルウエリン・デイヴィズ(フレディ・ハイモア)と劇作家バリ(ジョニー・デップ)との出会いの背景にもう一つの愛のドラマが存在していた。

 1904年、12月27日にロンドンで初めて「ピーターパン」が上映された。これは、その陰で子供のように夢見る心を持ち続ける劇作家バリと、彼によって夢を信じる心を取り戻していくデイヴィズ家の三男ピーター少年。二つの純粋な魂の触れ合いを描いた愛と感動のドラマである。

 ロンドンのケンジントン公園へ日課の散歩に出かけたバリは、若く美しい未亡人のシルヴィア(ケイト・ウィンスレット)と彼女の息子たちであるデイヴィズ家の四兄弟と出会う。中でもバリが関心を寄せたのは、父の死後夢や希望を持つことをあきらめた三男ピーターの存在であった。
一人で心の傷を負ったピーターに空想の世界で遊ぶことの楽しさと物を書くことの喜びを教えるバリ。彼と母親シルヴィアの深い愛情に包まれながら、ピーターは少しずつ子供らしい純粋さを取り戻していくのであった。

 ピーターに幼い頃の自分自信を重ね合わせながら、二度とない子供時代の素晴らしさを伝えるバリ。二つの繊細な魂の触れ合いから、「ピーターパン」のドラマが誕生して行く過程を描いている。
そして、病に侵され母シルヴィアを失うピーターに、「愛する者を心の中のネバーランドに旅立たせる」事を教える。夢を信じる事の大切さをテーマにした「ピーターパン」の物語が、喪失の悲しみの中から生まれたという事実が、深い感慨を呼び起こす。

 子供のように無垢な心を持ち、ピーターたち兄弟に惜しみない愛情を注ぐバリ役デップの演技には、優しさが満ち溢れている。現実に目を向けない夫バリに愛想を尽かし、心の通いを失くした妻メアリー(ラダ・ミッチェル)とは、対称的なシルヴィアに心を魅かれるが、恋愛感情を超越したプラトニックな愛の絆で結ばれる姿をごく自然に演じている。彼の周りには、気品と優しさ、そしてユーモアが溢れている。
最初のうち、シルヴィアの母モーリエ夫人(ジュリー・クリスティ)は、毎日子供たちと遊び呆けるバリに対して、娘シルヴィアに近づくためだと警戒するが、段々彼の純粋さが分って来る。バリーの愛は、すべてを超越した人間愛なのだ。デップの人柄からそれがヒシヒシと伝わってくる。

 この作品は、「ピーターパン」の生誕100周年を記念して造られたが、それにふさわしい作品となった。デップとピーターの子役ハイモアの演技が光るが、先に述べたシルヴィアのは早くクリスティーの他、バリの友人役イアン・ハートや、大物プロデューサー役ダスティン・ホフマン等ベテラン個性派俳優陣が見事に脇を固めている。

 最後に、”ネバーランド”とは?ーーーバリ役デップの言葉を借りれば、「そこは夢がかなう場所なんだ。信じれば必ず行ける。」---現代人が忘れていることであり、現代人では決して行けない場所なのであろう。
2001年第73回アカデミー賞5部門ノミネート作品

ショコラ

製作年度: 2001年  すべての人を幸せにする不思議なチョコレートを売る母娘の物語     
監督: ラッセ・ハルストレム  製作総指揮: アラン・C・ブロンクィスト/メリル・ポスター/ボブ・ワインスタイン/ハーヴェイ・ワインスタイン  
製作: デイヴィッド・ブラウン/レスリー・ホールラン/キット・ゴールデン
原作: ジョアン・ハリス  脚本: ロバート・ネルソン・ジェイコブス  音楽: レイチェル・ポートマン
キャスト: ジョニー・デップ/ジュリエット・ビノシュ/ジュディ・デンチ/キャリー=アン・モス/レナ・オリン/ アルフレッド・モリーナ/レスリー・キャロン

 古くからの伝統が根付き、氷のように閉ざされたフランスの小さな村にやってきた不思議な母娘。二人は、村の人々が見たこともない美味しそうなチョコレートのお店を開店する。客の好みにピタリと合わせて勧められるチョコレートに村の人々は虜になっていき、皆の閉ざされた心を解き放っていくがーーー。

 これは、古い伝統や慣習に縛られた人々の閉ざされた心を、暖かく開いていく開拓者と、伝統・慣習を守ろうとする保守的な権威者との衝突であり、心温まる感動的なファンタジーである。
 昔から、チョコレートには、鎮静効果と共に、ちょっとした興奮作用を促すカカオも含まれている。情熱を表すものとして、ヴァレンタインデーに贈られる事になってからも歴史がある。

 冬のある日、伝統が深く根付く村に謎めいた女性ヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が、娘と共に越してきて見た事もないような美味しそうなチョコレートで溢れたショップを開く。自分たちの好みのチョコレートを勧められた村の人々は、すっかり虜となり、カトリックの断食期間である四旬節にも、教義に反してチョコレートを食べている。村の指導者であるレノ伯爵(アルフレッド・モリーナ)は、この事実に愕然となり、村人にチョコレートショップへの出入りを禁じ、ヴィアンヌを村から追い出そうとする。そんな時、ジプシーの青年ルー(ジョニー・デップ)が村にやって来て、ヴィアンヌに好意を抱いて彼女に協力していく。村の人々は少しずつ変わっていくがーーー。

 娘(キャリー=アン・モス)と絶縁して、孫にも会えず、孤独に暮らすアルモンド(ジュディ・デンチ)や、暴力夫の元から逃げ出すジョセフィーヌ(レナ・オリン)は、ヴィアンヌのチョコレートにより、違った人生観を見出される。
その他にも、一粒のチョコレートは、倦怠期の夫婦に愛の炎を甦えさせたり、老女に恋する老紳士に秘めた恋に踏み出す勇気を与えたり、いがみあう隣人にさえ、友情を芽生えさせていく。
村にやってきたジプシーのルーは、チョコレートではなく、ヴィアンヌその人に好意を寄せて彼女の理解者となる。流れ者同士の共通点を見た二人は、自然に恋するようになる。デップは、ここでも人を魅了する優しさを演じている。ヴィアンヌは多くの村人に幸せを与えるが、それを快く思わない人間は必ずいるものだ。特に閉鎖社会においては、ルーも含めたよそ者に対しての警戒は強いものだ。そのため、ルーの舟は焼かれ、彼は去っていく。やがてヴィアンヌ母娘も村を出て行こうとするがーーー。

 一粒のチョコレートが人々に幸せを贈る、このジョアン・ハリスの原作は確かに素晴らしい。
しかし、普段見慣れている景色や人々が、少しずつ違って見えてくる映画の演出は見事だ。笑いあり、涙あり、ハラハラしたり、ドキドキしたり、チョコレートの温かい雰囲気に包まれ、素晴らしい音楽に酔っている内に、いつのまにか映画の世界に引きずり込まれ、見終わった後に幸せな気分を感じさせられた。

 まさに、チョコレートの甘さと苦さを味あわされる作品である。
定住者から漂流者への憧れ、また逆に漂流者から定住者への憧れが、見事に表れている。保守的な考えと斬新な思考、伝統と変化、自由と戒律、情熱とモラル、愛と憎しみ。相反する事象が、常に対称されているのだ。
この物語に、悪人は登場しない。衝突は、考え方の相違だけであり、それぞれのキャラクターが、生きて描かれている。ラッセ・ハルストレム監督は、すべての登場人物に、命を吹き込んでいる。

 物語は、たまたま麻薬のようなチョコレートを題材にしているが、ヴィアンヌやルーは、何者なのであろう。
自由人の彼等は、我々現代人に忘れたものを思い出させる、伝道師のような役割ではなかろうか?
とにかく、ほんのりとした甘いチョコレートの香りが、暖かく包み込み、上質に料理された見事な作品である。
ファンタジーでありながら、真実を語っている。見た者を、優しく幸福な気分にさせてくれる。
第二のチャプリンを魅せるデップ

妹の恋人


製作年度: 1993年 神経を病んだ妹を見守る兄と、その妹と恋に落ちる風変わりな青年との交流
監督: ジェレマイア・S・チェチック  原案・脚本: バリー・バーマン  製作総指揮: ビル・バダラート
音楽: レイチェル・ポートマン
キャスト: ジョニー・デップ/メアリー・スチュアート・マスターソン/エイダン・クイン/ジュリアン・ムー      ア/オリヴァー・プラット/C・C・H・パウンダー

 まず、この映画には無駄がない。ベニー(アイダン・クイン)とジューン(メアリー・スチュアート・マスターソン)の兄妹は、幼い頃に火事で両親を亡くしたことが、中盤に分かるが、死体袋に包まれた両親の姿が、回想シーンでチラッと出てくるだけで、それが原因で妹ジューンが精神に支障をきたし、自閉症気味になったことを想像させる。
 ラストも、これまで妹を親代わりに世話し、自分の人生を犠牲にしてきた兄ベニーもジューンとサム(ジョニー・デップ)が一緒にアパート暮らしを始めることになったことから、アパートの管理人であり、レストランのウェートレスをしているルーシー(ジュリアン・ムーア)と結ばれることを暗示している。
 自分は、観衆に想像させる作品が好きだ。ダラダラと状況説明を映画の中ですることはないのだ。最近の映画は、2時間を超す作品が多いが、この映画は99分でまとめている。原作・脚本も素晴らしいが、監督の手腕に脱帽する。

 車の修理工場で働くベニーは、一日中家にいる妹ジューンに些細な事で仕事場に電話される。車の修理を終えた後、美人の女性客にお礼の食事に誘われても、妹の事が気になるため、誘いを断る。友人のエリック(オリヴァー・プラット)に、「もっと自分の人生を大事にしろ」と言われても、彼は、「結局自分の人生は、車を修理することと妹の面倒を見続けること」と割り切り、自分の人生を犠牲にしている。
 
 彼等の楽しみはポーカーで、妹と一緒に友人宅に向かう時に、木登りをしていた不思議な青年に出会う。それが、サムであった。サムは、ベニーのポーカー仲間マイクの従兄であり、同居を押し付けられたマイクは、彼に手を焼いていた。サムは映画好きで、夜中にテレビ映画を観るだけで、読み書きもできないというのだ。

 或る日、ベニーが居ないところで、ジューンはポーカーに参加した。賭けの条件は、負けたらサムを引き取るというものだった。ジューンは負けて、家にサムを引き取ることになる。
 これまで、何人も来た家政婦とすべて上手くいかなかったジューンも、サムは気に入った。
ベニーは、精神科医のガーペー(C・C・H・パウンダー)から、ジューンを施設に預けるよう勧められていたが、決心がつきかねていた。
 しかし、家に同居させたサムが、お手伝い件ジューンのお守ということになり、誰ともうまくいかなかった妹とも気心があったことに安心する。
ルーシーともデートするようになるが、やはり妹が気になって、彼女に今一歩踏み込めない。そのことで、ルーシーとも気まずくなる。
落ち込んで、ルーシー、サムと3人で公園に行くが、彼の気持ちを察したサムは、ベニーを元気づけるため、ステッキと帽子で、チャプリン顔負けのパントマイムを演じる。堂に入った演技に大勢の人が集まってくる。彼等の顔には、笑顔があった。
 デップのこの辺の演技が、称賛に値する。至って自然で飾り気がない。大袈裟な大道芸人ではない。本人は、至って真面目なのだ。その事が、人々を余計に笑わせる。サムが、映画好きの設定から、チャプリンも大いに研究したのだろうが、その描写は出てこない。そこも、この作品の無駄がない所だ。
 
 公園のシーンだけでなく、初めて3人で行ったレストランでも、2つのパンをフォークで刺し、ダンスさせる芸や、家の壁をモップで掃除する際、大きな音楽に合わせて乗ったソファーを、スライドさせて動き回るシーンや、アイロンでトーストを焼くシーン、ラストに病院の窓から見えるように屋上から吊ったゴンドラに乗り、ブランコの様に揺らしながらのパフォーマンスなどが圧巻である。無口な彼は、眼の動きで感情を表し、全身を使って自然に演技している。”シザーハンズ”に続き、この作品でも『ゴールデン・グローブ賞』にノミネートされたのも当然だろう。

 べニーは、サムの才能を見抜き、コメディアンのオーデションを受けさせる手はずをつけるが、それが気に食わないジューンと言い争いになる。さらに、彼女とサムの関係を知って、サムを家から追い出した。怒ったジューンは、サムとバスに乗って駆け落ちするが、緊張のあまり発作を起こして精神病院に入れられてしまう。

 病院の待合室で、顔を合わせたベニーとサム。ベニーはサムに詰め寄るが、サムの言葉「今まで貴方を尊敬していた。でも今は違う。貴方は恐れている。」に考えさせられる。
自分は妹を愛しているが、彼女の気持ちまで束縛してきたと。そして、ジューンにとってサムが必要だと気づく。この時の二人の眼の表情が良い。今まで、おどけた表情しか見せなかったサムの眼は、実に淋しそうだったし、ベニーもやるせなさそうな眼をしていた。

 結局、2人にアパート暮らしをさせ、自分とは離れて暮らすことにする。そして、自分もーーー。
この映画は、色々な『愛の形』を見せてくれた。そして、我々に充分考えさせる作品になっている。 
ジョニー・デップ出演作で一番好きな作品

ギルバート・グレイプ

製作年度: 1993年 すべての傷つきやすい人に捧げられた感動作
監督・製作総指揮: ラッセ・ハルトレム 原作・脚本: ピーター・ヘッジス  音楽: アラン・パーカー
キャスト: ジョニー・デップ/ジュリエット・ルイス/レオナルド・ディカプリオ/ダーレーン・ケイツ                                ローラ・ハリントン/メアリー・ケイト・シェルハート/メアリー・スティーンバーゲン/ケヴィン・タイ/ジョン・C・ライリー

 この物語は、エンドーラという町のある家族の葛藤と愛のドラマである。
タイトルになっている"ギルバート・グレイプ"は、ジョニー・デップが演じる物語の主人公の名前であるが、ドラマを盛り上げているのは間違いなく、グレイプ家の末っ子で精神障害者のアニーを演じるレオナルド・ディカプリオである。
 この天才子役は、同年の”ボーイズ・ライフ”でも、あのデ・ニーロをもさえ食った演技を魅せた。その後も、”バスケットボール・ダイアリーズ”、”キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン”、”アビエイター”、”ディパーテッド”でも素晴らしい演技をしている。

 大体障害者役は、非常に難しいものだ。彼の演技次第でこの作品が崩れてしまうのだ。これまで、障害者を演じた役者は、ダスティン・ホフマン(レイン・マン)、ダニエル・デイ・ルイス(マイ・レフト・フット)、ロバート・デ・ニーロ(レナードの朝)、アル・パチーノ(セント・オブ・ウーマン)、トム・ハンクス(フォレスト・ガンプ)など、演技力で勝負するそうそうたる実力派のメンバーであり、それぞれの作品も珠玉の名作揃いである。
 中でも、子役でこれだけの演技をしたディカプリオは、最高だと思う。彼は、実際の障害者施設で2カ月近く彼等と暮らし、彼等の挙動を観察したという。

 父親を自殺で失ったグレイプ一家は、そのショックで過食症となり、一歩も外へ出ず、太るだけ肥って身動きが出来なくなってしまった母ボニー(ダーレーン・ケイツ)、その母親代わりに一家の家事を賄う長女のエイミー(ローラ・ハリントン)、長男が家出した後、一家の大黒柱となったギルバート(ジョニー・デップ)、家族には無関心で自分のことしか頭にない次女のエレン(メアリー・ケイト・シェルハート)、そして脳に障害を持ち5歳ぐらいの知能しかないアニー(レオナルド・ディカプリオ)の5人家族である。
 長女は、人生に疲れているし、次女はマイペース。結局ギルバートが、自分の夢も忘れ、家族のためにこの町を出ることもできない。地元の食料品店に勤め、家族を養っている。
配達の際、カーヴァー家の主婦ベティ(メアリー・スティーンバーゲン)に口説かれる。このベティも仕事一筋の夫(ケヴィン・タイ)に相手にされず、身を持て余しているだけなのだ。夫だって人は良く、女房の欲求不満に気がついていないだけだ。この物語に悪人は登場しない。

 エンドーラという平凡な田舎町の平凡な家族を描いたこの作品がなぜこれほどの感動を呼ぶのだろう?
 映画のキャッチとして『守ってあげたい人がいる。その人を守るために闘う、そのために自分の<夢>をいつのまにか忘れてもーーー。』と、ある。実に良い言葉ではないか。
人間誰しも守らなければならない人がいる。ギルバートにとって、それはアニーだったのか?
 ある日トレーラーに乗って、不思議な風を吹き込む少女ベッキー(ジュリエット・ルイス)が町にやってくる。ギルバートとの間にほのかな恋が芽生えるが、ギルバートはもう一歩踏み込めない。ベッキーはやがて町を出て行くし、自分は町を出られない。家族のために彼は、とうに自分の夢を捨てているのだ。
 こういった陰のある、淋しげな表情は、デップの真骨頂である。

 アニーは、無邪気でいつも笑っている。高い所へ登ることだけが彼の特技で、ある日鉄塔に登って行ってしまい、保安官に捕らえられてしまう。
この時の母の姿も感動的だった。ダーレーン・ケイツも実にうまい。
「私の息子よ。返して。私の息子を返して!」と、夫の自殺以来、食べるだけで太りすぎて動けなくなっていたのに、必死に家族に支えられながらも立ち上がり、町へ行き、保安官に詰め寄るのだ。
 母ボニーにとって、末っ子の知恵遅れアニーは、天使だったのだ。アニーの18歳の誕生日を皆で祝うことだけを生甲斐としていた。そして、そのパーティーが終わると、安心して静かな眠りに就いたのだった。

 そして、忘れられないラストシーン。母の死の悲しみの一晩を過ごすが、重すぎて、家の外へ出すことが出来ない母の亡骸を、家財道具を皆外に出して、家ごと燃やしてしまうのだ。
 高々と燃え上がる炎を見つめる兄弟たち。それぞれの思いを焼き尽くすように勢い良く燃え上がる家。ギルバートの愛の火だ。
 家がなくなり、アニーが尋ねる「僕らはどこへ?」ギルバートは答える「どこへでも、どこへでも」と。

 素晴らしい原作だ。しかし、監督のラッセ・ハルトレムも詩人である。
彼は、こう言っている。「映画を作る時は、いつも心のこもった映画を作りたいと願っている。人生を映像に再現する場合、悲劇と喜劇を混ぜ合わせなければならない。なぜなら、人生は悲しいものであると同時に、少し滑稽なものであるから。"ギルバート・グレイプ”は、心の旅の物語である。」と。

 家族の絆、兄弟の愛情と憎しみ、青春の傷み、与える優しさ、愛に包まれること、そして未来への希望。この作品は、傷つきやすい我々すべてに捧げられた作品である。 
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