映画ファン集合! 自分が見て感動したり、人生観を変えたような映画について語り合いたいと思います。 また、DVDのコレクション紹介とかーーーー。

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ジョニー・デップの異色西部劇

デッドマン


製作年度: 1995年  カンヌ映画祭出品作品
監督・脚本: ジム・ジャームッシュ  製作: ディミートラ・J・マクブライド  音楽: ニール・ヤング  
キャスト: ジョニー・デップ/ジョン・ハート/ロバート・ミッチャム/ミリ・アヴィタル/ガブリエル・バーン/ゲーリー・ファーマー/ランス・ヘンリクスン/マイケル・ウィンコット/ユージン・バード

 デッドマンとは死人のことだが、ジョニー・デップ演じる会計士ウィリアム・ブレイクが、故人であるイギリスの詩人と同姓同名だったことから、ノーボディと名乗るインディアン(ゲーリー・ファーマー)が、詩人その人だと信じ込み、デッドマンと呼ぶことになる。
 実に不思議かつ奇妙で、筆舌し難い神秘的な世界が描かれている。この幻想的な世界を演出するため、ジム・ジャームッシュ監督は、敢てモノクロのカメラワークを使用している。
我々は必然的に、19世紀後半のアメリカ西部、ウエスタンの世界に、タイムスリップさせられるのだ。

 会計士として、ディッキンソン工場に雇ってもらうために、東部クリーブランドから蒸気機関車に乗って西部の町にやってきたブレイク。蒸気機関車から見える風景は、西へ行くほど、森林地帯から広大な平野地帯へと、まるで西部開拓史さながらの殺縛とした景観である。
 夢を抱いてやってきた町だが、墓場のような空気が漂っている。工場の支配人(ジョン・ハート)は、「来るのが遅すぎた。もう別の会計士を雇ってしまった。」と、にべもない。ディッキンソン社長(ロバート・ミッチャム)と会っても、銃で追い返されてしまうブレイク。

 夜の酒場で花売りをしていた娘セル(ミリ・アヴィタル)が、酔っ払いに絡まれているのを助け、彼女の部屋へ。ベッドで寝ているところをセルの恋人チャーリー(ガブリエル・バーン)に見つかり、銃で撃たれる。銃弾は、ブレイクをかばおうとしたセルの胸を貫き、彼も胸の脇を撃たれる。セルの護身用銃でブレイクも、チャーリーを殺してしまう。

 チャーリーは、町を牛耳るディッキンソンの息子だった。息子の死を知った彼は、3人の殺し屋を雇い、ブレイクを追わせる。さらに、賞金付の手配書を西部全域に手配させた。

 傷を負い、町を抜け出して森に逃げたブレイクを助けたのは、インディアンのノーボディだった。彼は、イギリス詩人ウィリアム・ブレイクを尊敬しており、撃たれたブレイク(デップ)が同姓同名だったことから、故人である詩人の生まれ変わりだと信じてしまう。
 こうして息の合った二人の旅は始まる。追っ手の気配を感じながら二人は何処へ?
賞金を知って皆に狙われるが、ノーボディに助けられて逃げ延びる。3人の殺し屋は、仲間割れし、極悪非道のコール・ウィルソン(ランス・ヘンリクスン)が、他の二人を殺してしまう。

 森の中で、仔鹿の死体を見つけるブレイク。仔鹿の血を自分の傷口に合わせ、隣に身を横たえる。鹿は神の使いとして、インディアンに崇められた動物だ。鹿とブレイクの交わりは、アニミズム(自然崇拝・精霊崇拝)を感じさせる。
先住民インディアンをフロンティアの名の下に殺戮・略奪した白人だが、インディアンも動物達を追ったのだ。しかし、インディアンの狩猟は、単に食物の獲得ではなく、神秘の動物神である鹿との間で生命の取引をするという感覚であったのだ。この作品は、自然と人間、動物を一体化させている。
 
 監督・脚本のジム・ジャームッシュは、そこを強調したかったと思える。詩人ウィリアム・ブレイクの名を借りたのもそこにあると思う。彼は少年時代から、植物や動物の中に天使や精霊の姿を幻視する特異な能力を持っていたと言われている。アニミスティックな傾向の強い彼は、ロンドン郊外の森に棲息する動物達の意識に滑り込み、森羅万象のの中に宿る生命を謳歌したのである。

 この映画での撃ち合いシーンも派手さはない。ごく自然に描かれている。ブレイクが、チャーリーを殺すシーンも何発も撃って、たまたま当たったという感じである。
 森の奥地に向かうため、小舟で出発する直前にブレイクは、賞金を狙う何者かに背後から致命的な一撃を浴びる。
 ノーボディが介抱するも、彼の死を予知し、死への旅立ちへの盛装をし、飾り立てたカヌーに乗せる。インディアンの厳かな儀式だ。静かに川を流れていくカヌーが印象的である。

 ブレイクを見送るノーボディの背後に殺し屋ウイルソンが現れ、二人は撃ち合い、二人とも倒れる。
ブレイクを乗せたカヌーは、大海原を下っていく。魂が帰るところ、魂の故郷へ向かって。

 この作品は、 ジム・ジャームッシュが、詩人ウィリアム・ブレイクへ捧げるオマージュであろう。デップも過去の作品とは違い、淡々と静かに魂を込めて演じている。風景も不気味なほど静かだし、”死”さえも、厳かな儀式として捉えている。
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明日に向って撃て


1969年  アメリカ・ニューシネマの異色西部劇
監督:ジョージ・ロイ・ヒル  脚本:ウィリアム・ゴールドマン  音楽:バート・バカラック
主題歌:雨にぬれても(B・J・トーマス)ーービルボードとキャッシュ・ボックスのトップを飾った名曲
キャスト:ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/キャサリン・ロス/ジェフ・コーリイ

 1890年代に、アメリカ西部から南米にかけて悪名をとどろかせた実在の無法者ブッチとサンダンスの生き方をユニークなセンスとタッチで描いたモダン・ウエスタンである。アメリカ西部の馬が自転車に代わる頃の新しい西部劇。
 
 銀行強盗、列車強盗、”俺たちに明日はない”同様、アンチ・ヒーローであるが、ボニー&クライドが、淋しげな悲壮感が漂っていたのに対し、どこか憎めない彼ら。ヤンキー独特の陽気さが、全編に漂っている。銀行に押し入り、言葉が通じず、アタフタとするお笑い場面もある。
 なぜか、無法者のブッチ(ポール・ニューマン)とサンダンス(ロバート・レッドフォード)と共に行動するインテリ女教師のエッタ・ブレイス(キャサリン・ロス)。
実在した、サンダンスはかなりの美男子だったらしいが、彼の恋人役を演じているキャサリン・ロスは、”卒業”とは全く違った女性の味を出している。

 前回、レビューした”俺たちに明日はない”のボニー&クライドも、この”明日に向って撃て”のブッチ、サンダンス、エッタの3人も実在の人物である。悪人ながら人気があり、ヒーロー扱いされている部分がある。そこが、アメリカ・ニューシネマである。

 しかし、何といってもこの作品は、イントロが良い。ピアノソロで始まり、タイトルをはじめ、ドキュメンタリー風な、セピア一色の活動写真時代の香りを込めて語り始められる。
やがて、色鮮やかな本編主人公の主体に這入り込んでいく。色褪せた古いアルバムを見ているうちに、そのアルバムの中へ、観客を引き込んでいく。
 そして、エンディング。逃げ回る3人を静けさの連続で盛り上げていく。ラストで一気に銃声の嵐。
嵐の中に飛び込まんとする、ブッチとサンダンス。映画は、二人の散らんとする生命をストップモーションで締めくくった。実に計算された、導入部とエンディングである。

 自分が印象的な場面は、逃亡生活の中でのやすらぎのひと時、エッタを前に乗せて、ブッチが自転車で走り回るシーン。静かな田園地帯、太陽が燦々と輝く中で流れる、あの名曲”雨にぬれても”。

 この映画を西部劇と呼んでいいのか?自分は、このような西部劇を知らない。
画面の色使いといい、バックミュージックといい、3人の豊かな個性、独特のストーリー展開、実に洗練された作品である。
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