ジョニー・デップという役者

ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族の血を引く。
両親が離婚し、子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。12歳で酒を飲み始め、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意し、16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
ロックグループ「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。
20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚し、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合っている。ケイジから俳優への転身を勧められた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。
初の主演作品は、1987~90年のテレビシリーズ『21ジャンプ・ストリート』である。(一部DVD化されている。)
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-4.html 参照)
この作品が彼の出世作となるが、デップはアイドル化される事を嫌い、活動の場を映画のみとすることに決めた。
1985年の青春コメディ『マイアミ・ホット・リゾート』や初の主演作品といえる1990年の青春ミュージカル『クライ・ベイビー』の頃は、普通のアイドルスターであったが、彼の名を一躍有名にしたのが、同じ1990年の『シザー・ハンズ』である。この作品こそ彼の出世作であり、現在のデップの原点だと言えよう。この作品でティム・バートンは、初めてデップを採用し、この先理想的なコンビを作っていくことになる。
”愛”をテーマにしたファンタジーであり、個性的でユニークなデップのデビュー作である。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-6.html 参照)
続く'92年の『アリゾナ・ドリーム』では、母と娘を同時に愛する役、'93年の『妹の恋人』はデップらしさを充分に発揮した作品であり、チャップリン風のパフォーマンスを披露してくれる。自分は、同年の『ギルバート・グレイブ』が好きな作品であるが、ここでは彼の弟役で障害者を演じる子役のレオナルド・ディカプリオの演技の方が光っている。ここでのデップは優等生の兄役を淡々と演じている。
翌'94年の『エド・ウッド』は、監督ティム・バートンとの2度目のコラボで、風変わりな映画監督役として、デップの演技が異彩を放っている。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-5.html 参照)
'95年には、『ドンファン』、『デッドマン』、『ニック・オブ・タイム』と3本も主役出演し、それぞれデップの魅力を充分に発揮している。
'97年の『フェイク』も好きな作品で、実在のFBI捜査官を鬼気迫る演技で演じ、名優アル・パチーノとの友情が哀しくも美しい。
'99年はデップ作品の当たり年で、『ブレイブ』では、ネイティブ・アメリカンを演じながら監督デビューまでしている。その他、バートンとの3度目のコラボ作品となる『スリーピー・ホロウ』を始め、『ノイズ』、『ナインス・ゲート』という3本のサスペンスに挑戦している。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-3.html 参照)
2000年に入っての『ショコラ』、『夜になるまえに』、『耳に残るは君の歌声』は、デップ主演映画とは言えずパッとしなかったが、'01年の『ブロウ』では、実在のドラッグ売人を見事に演じ、『フロム・ヘル』では、切り裂きジャックを追う異色警部になりきっている。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-2.html 参照)
そして、'2003年には、『エル・マリアッチ・シリーズ』の最終章である『レジェンド・オブ・メキシコ』とあの『パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズ』が始まっている。海賊ジャック・スパロウは、まさにデップのハマリ役であり、このシリーズでデップの名は、不動のものとなった。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-1.html 参照)
'04年には、感動作『ネバーランド』と彼の主演作品で自分が最も好きなミステリーの傑作『シークレット・ウインドウ』で、脂の乗り切った演技を見せている。
'05年には、『リバティーン』とファンタジーな『チャーリーとチョコレート工場』で、バートン&デップのコンビが、4度目のコラボを組んでいる。デップが声だけの出演をしているアニメ『コープス・ブライド』が5回目。
'07年には、本格的なミュージカルである『スウィーニー・トッド』で鬼気迫る悪魔の理髪師を演じている。これが、バートンとの6回目のコラボ。
'09年は、『パブリック・エネミーズ』と『Dr.パルナサスの鏡』2作品であるが、自分はどちらもあまり好きではない。'10年の『アリス・イン・ワンダーランド』と共に、期待を裏切った作品であった。
デップらしさが漂っている作品は、自分にとっては『スウィーニー・トッド』が最後の作品である。『パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズ』も引っ張り過ぎの感がする。
デップの魅力とは何であろう?一番は、その役に成り切る事であり、色んな役が出来るという事である。奇想天外なファッションやパフォーマンスも自然だ。観客は、演じているという事を忘れ、どんなキャラクターでも彼をそのままに受け入れてしまうのだ。海賊ジャック・スパロウや帽子屋マッド・ハッターやチョコレート工場主のウィリー・ウォンカ氏など、大袈裟な役作りもあるが、そのストレンジさが彼なら自然に見えるのだ。
出演ジャンルも、ラブストーリーから感動物、コミカル、サスペンス、アクション、SF、社会派、ミステリーと幅が広い。実在の人物を演じる事も難しいと思われる。普通の庶民、ヒーロー、道化役者、悪役と何でもこなすし、人間的にも多面性を持っている人物だと思う。要するに、無理やりジャンルにくくれない珍しい役者だ。
あとは、目の動きが素晴らしい。その目だけで喜怒哀楽が分かり、目の動きだけで演技が出来る数少ない役者だと思う。
次回作では、どんな役に挑戦してくれるのか、我々に期待感を抱かせる役者である事は間違いない。

ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木作業員の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7歳上の姉デビーと2歳上の姉クリスティーがいる。フランス人、アイルランド人、ドイツ人、チェロキー族の血を引く。
両親が離婚し、子供時代はストレスのために自傷行為を繰り返したという。12歳で酒を飲み始め、14歳の頃からドラッグに手を染めるなど、どん底とも言える青年時代を送った。しかし、親友との死別をきっかけに足を洗う事を決意し、16歳の時に高校を中退しミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。
ロックグループ「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。
20歳の時に25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソンと結婚し、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合っている。ケイジから俳優への転身を勧められた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。その後『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。
初の主演作品は、1987~90年のテレビシリーズ『21ジャンプ・ストリート』である。(一部DVD化されている。)
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-4.html 参照)
この作品が彼の出世作となるが、デップはアイドル化される事を嫌い、活動の場を映画のみとすることに決めた。
1985年の青春コメディ『マイアミ・ホット・リゾート』や初の主演作品といえる1990年の青春ミュージカル『クライ・ベイビー』の頃は、普通のアイドルスターであったが、彼の名を一躍有名にしたのが、同じ1990年の『シザー・ハンズ』である。この作品こそ彼の出世作であり、現在のデップの原点だと言えよう。この作品でティム・バートンは、初めてデップを採用し、この先理想的なコンビを作っていくことになる。
”愛”をテーマにしたファンタジーであり、個性的でユニークなデップのデビュー作である。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-6.html 参照)
続く'92年の『アリゾナ・ドリーム』では、母と娘を同時に愛する役、'93年の『妹の恋人』はデップらしさを充分に発揮した作品であり、チャップリン風のパフォーマンスを披露してくれる。自分は、同年の『ギルバート・グレイブ』が好きな作品であるが、ここでは彼の弟役で障害者を演じる子役のレオナルド・ディカプリオの演技の方が光っている。ここでのデップは優等生の兄役を淡々と演じている。
翌'94年の『エド・ウッド』は、監督ティム・バートンとの2度目のコラボで、風変わりな映画監督役として、デップの演技が異彩を放っている。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-5.html 参照)
'95年には、『ドンファン』、『デッドマン』、『ニック・オブ・タイム』と3本も主役出演し、それぞれデップの魅力を充分に発揮している。
'97年の『フェイク』も好きな作品で、実在のFBI捜査官を鬼気迫る演技で演じ、名優アル・パチーノとの友情が哀しくも美しい。
'99年はデップ作品の当たり年で、『ブレイブ』では、ネイティブ・アメリカンを演じながら監督デビューまでしている。その他、バートンとの3度目のコラボ作品となる『スリーピー・ホロウ』を始め、『ノイズ』、『ナインス・ゲート』という3本のサスペンスに挑戦している。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-3.html 参照)
2000年に入っての『ショコラ』、『夜になるまえに』、『耳に残るは君の歌声』は、デップ主演映画とは言えずパッとしなかったが、'01年の『ブロウ』では、実在のドラッグ売人を見事に演じ、『フロム・ヘル』では、切り裂きジャックを追う異色警部になりきっている。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-2.html 参照)
そして、'2003年には、『エル・マリアッチ・シリーズ』の最終章である『レジェンド・オブ・メキシコ』とあの『パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズ』が始まっている。海賊ジャック・スパロウは、まさにデップのハマリ役であり、このシリーズでデップの名は、不動のものとなった。
( http://movieno1.blog17.fc2.com/page-1.html 参照)
'04年には、感動作『ネバーランド』と彼の主演作品で自分が最も好きなミステリーの傑作『シークレット・ウインドウ』で、脂の乗り切った演技を見せている。
'05年には、『リバティーン』とファンタジーな『チャーリーとチョコレート工場』で、バートン&デップのコンビが、4度目のコラボを組んでいる。デップが声だけの出演をしているアニメ『コープス・ブライド』が5回目。
'07年には、本格的なミュージカルである『スウィーニー・トッド』で鬼気迫る悪魔の理髪師を演じている。これが、バートンとの6回目のコラボ。
'09年は、『パブリック・エネミーズ』と『Dr.パルナサスの鏡』2作品であるが、自分はどちらもあまり好きではない。'10年の『アリス・イン・ワンダーランド』と共に、期待を裏切った作品であった。
デップらしさが漂っている作品は、自分にとっては『スウィーニー・トッド』が最後の作品である。『パイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズ』も引っ張り過ぎの感がする。
デップの魅力とは何であろう?一番は、その役に成り切る事であり、色んな役が出来るという事である。奇想天外なファッションやパフォーマンスも自然だ。観客は、演じているという事を忘れ、どんなキャラクターでも彼をそのままに受け入れてしまうのだ。海賊ジャック・スパロウや帽子屋マッド・ハッターやチョコレート工場主のウィリー・ウォンカ氏など、大袈裟な役作りもあるが、そのストレンジさが彼なら自然に見えるのだ。
出演ジャンルも、ラブストーリーから感動物、コミカル、サスペンス、アクション、SF、社会派、ミステリーと幅が広い。実在の人物を演じる事も難しいと思われる。普通の庶民、ヒーロー、道化役者、悪役と何でもこなすし、人間的にも多面性を持っている人物だと思う。要するに、無理やりジャンルにくくれない珍しい役者だ。
あとは、目の動きが素晴らしい。その目だけで喜怒哀楽が分かり、目の動きだけで演技が出来る数少ない役者だと思う。
次回作では、どんな役に挑戦してくれるのか、我々に期待感を抱かせる役者である事は間違いない。
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ティム・バートンが、ルイス・キャロルの『不思議の国
のアリス』に斬新な脚色をほどこした作品

製作年度: 2010年 不思議の国のアリスの“その後の冒険”の完全オリジナル・ストーリー
監督: ティム・バートン 製作総指揮: クリス・レベンゾン 製作: ティム・バートン/リチャード・D・ザナック/ジョー・ロス/スザンヌ・トッド/ジェニファー・トッド 原作: ルイス・キャロル
脚本: リンダ・ウールヴァートン 音楽: ダニー・エルフマン
キャスト: ミア・ワシコウスカ/ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アン・ハサウェイ/アラン・リックマン/マイケル・シーン/クリストファー・リー/クリスピン・グローヴァー/マット・ルーカス/スティーヴン・フライ
舞台は、1855年のロンドン。19歳のアリス(ミア・コシユウスカ)は、今でも不思議な世界の夢を見る。ある日、アリスは退屈な男ヘイミッシュからプロポーズを受けるが、周囲の祝福ムードにも、まったくその気になれない。洋服を着たウサギを追いかけ、小さな穴にもぐりこむと、そこは、アンダーランドと呼ばれる不思議の国だった。太った双子や白ウサギなど、不思議な生き物たちに、暗黒の時代となったアンダーランドを救うため、独裁者の赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)と闘って欲しいと懇願されるアリス。戸惑いながらも、やがて帽子屋マッド・ハッター(ジョニー・デップ)に引き合わされ、一緒に戦う決心をするが…。
ティム・バートンのイマジネーションによって生み出された不思議な国には、個性豊かな住人たちが登場するが、奇天烈な格好をしたマッド・ハッターのインパクトはもちろんのこと、赤の女王を演じたボナム=カーターの怪演が凄まじい。
この作品は、誰しも一度は読んだであろうルイス・キャロルの名作、『不思議の国のアリス』の続編で、主人公のアリスは、幼い頃にこの地で冒険を繰り広げたことを、すっかり忘れている。19歳になって、アンダーランドの救世主となって赤の女王と対決する事になる。
この辺は、ピーターパンの話につながる。
アリスを呼び寄せた白ウサギ(声:マイケル・シーン)といい、芋虫のアブソレム(声:アラン・リックマン)など大物俳優が声だけで出演している。
それにしても特筆すべきは、バートン監督の恋人と言われるボナム=カーターの怪演である。彼女は、「チャリチョコ」でも「スウィーニー・トッド」でもデップと共演しているが、これまで何度もアカデミー主演女優賞やゴールデングローブ賞にノミネートされてきただけの事はある。
自分は、当代きっての演技派女優だと思っている。
映画というのは、正義の主人公よりも、特徴ある悪役の演技で面白さが決まるというのが、自分の持論であるが、この作品も彼女の出演がなければ単なるお伽噺で終わってしまったと思う。
デップは相変わらず、ストレンジな役の方が似合う男優である。「シザー・ハンズ」しかり、「妹の恋人」、「エド・ウッド」、「ノイズ」、「スリーピー・ホロウ」、「シークレット・ウインドウ」、「チャリチョコ」、「スウィーニー・トッド」など、フリークな役の方が合っている。正統派の前作「パブリック・エネミーズ」のような作品は、誰でも演じられる気がして、デップらしさが出ていないと思った。(すべて自分のブログで紹介済み)
今回も、帽子屋マッド・ハッターという名前のごとく、マッドぶりを発揮している。
全体的には、ストーリーは子供向けの単純な勧善懲悪となっている。(同じ勧善懲悪でもチャリチョコの方が深い中身が合った)。まあ、ディズニー映画という事から、童心に帰り、子供の視点から見なければならない作品であろう。
むしろこの作品は、ストーリーで見るのではなく、バートン独自のオリジナリティなアート感覚の映像美にあり、3D全盛時代の象徴的作品といえるであろう。
音楽も、相変わらずダニー・エルフマンは、ファンタジーの世界を演出する第一人者だと思う。
のアリス』に斬新な脚色をほどこした作品

製作年度: 2010年 不思議の国のアリスの“その後の冒険”の完全オリジナル・ストーリー
監督: ティム・バートン 製作総指揮: クリス・レベンゾン 製作: ティム・バートン/リチャード・D・ザナック/ジョー・ロス/スザンヌ・トッド/ジェニファー・トッド 原作: ルイス・キャロル
脚本: リンダ・ウールヴァートン 音楽: ダニー・エルフマン
キャスト: ミア・ワシコウスカ/ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アン・ハサウェイ/アラン・リックマン/マイケル・シーン/クリストファー・リー/クリスピン・グローヴァー/マット・ルーカス/スティーヴン・フライ
舞台は、1855年のロンドン。19歳のアリス(ミア・コシユウスカ)は、今でも不思議な世界の夢を見る。ある日、アリスは退屈な男ヘイミッシュからプロポーズを受けるが、周囲の祝福ムードにも、まったくその気になれない。洋服を着たウサギを追いかけ、小さな穴にもぐりこむと、そこは、アンダーランドと呼ばれる不思議の国だった。太った双子や白ウサギなど、不思議な生き物たちに、暗黒の時代となったアンダーランドを救うため、独裁者の赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)と闘って欲しいと懇願されるアリス。戸惑いながらも、やがて帽子屋マッド・ハッター(ジョニー・デップ)に引き合わされ、一緒に戦う決心をするが…。
ティム・バートンのイマジネーションによって生み出された不思議な国には、個性豊かな住人たちが登場するが、奇天烈な格好をしたマッド・ハッターのインパクトはもちろんのこと、赤の女王を演じたボナム=カーターの怪演が凄まじい。
この作品は、誰しも一度は読んだであろうルイス・キャロルの名作、『不思議の国のアリス』の続編で、主人公のアリスは、幼い頃にこの地で冒険を繰り広げたことを、すっかり忘れている。19歳になって、アンダーランドの救世主となって赤の女王と対決する事になる。
この辺は、ピーターパンの話につながる。
アリスを呼び寄せた白ウサギ(声:マイケル・シーン)といい、芋虫のアブソレム(声:アラン・リックマン)など大物俳優が声だけで出演している。
それにしても特筆すべきは、バートン監督の恋人と言われるボナム=カーターの怪演である。彼女は、「チャリチョコ」でも「スウィーニー・トッド」でもデップと共演しているが、これまで何度もアカデミー主演女優賞やゴールデングローブ賞にノミネートされてきただけの事はある。
自分は、当代きっての演技派女優だと思っている。
映画というのは、正義の主人公よりも、特徴ある悪役の演技で面白さが決まるというのが、自分の持論であるが、この作品も彼女の出演がなければ単なるお伽噺で終わってしまったと思う。
デップは相変わらず、ストレンジな役の方が似合う男優である。「シザー・ハンズ」しかり、「妹の恋人」、「エド・ウッド」、「ノイズ」、「スリーピー・ホロウ」、「シークレット・ウインドウ」、「チャリチョコ」、「スウィーニー・トッド」など、フリークな役の方が合っている。正統派の前作「パブリック・エネミーズ」のような作品は、誰でも演じられる気がして、デップらしさが出ていないと思った。(すべて自分のブログで紹介済み)
今回も、帽子屋マッド・ハッターという名前のごとく、マッドぶりを発揮している。
全体的には、ストーリーは子供向けの単純な勧善懲悪となっている。(同じ勧善懲悪でもチャリチョコの方が深い中身が合った)。まあ、ディズニー映画という事から、童心に帰り、子供の視点から見なければならない作品であろう。
むしろこの作品は、ストーリーで見るのではなく、バートン独自のオリジナリティなアート感覚の映像美にあり、3D全盛時代の象徴的作品といえるであろう。
音楽も、相変わらずダニー・エルフマンは、ファンタジーの世界を演出する第一人者だと思う。
本作撮影途中で急死したヒース・レジャーの遺作

製作年度: 2009年 人々の隠れた欲望を形にする魔法の鏡を出し物に一座を率いるパルナサス博士
監督: テリー・ギリアム 製作総指揮: デヴィッド・ヴァロー/ヴィクター・ハディダ
製作: ウィリアム・ヴィンス/エイミー・ギリアム/サミュエル・ハディダ/テリー・ギリアム
脚本: テリー・ギリアム/チャールズ・マッケオン 音楽: マイケル・ダナ/ジェフ・ダナ
キャスト: ジョニー・デップ/ヒース・レジャー/クリストファー・プラマー/ジュード・ロウ/コリン・ファレル/リリー・コール/アンドリュー・ガーフィールド/バーン・トロイヤー/トム・ウェイツ
「ダークナイト」でバットマンの新境地を開いた(バットマンシリーズは悪役で持っている)トニー役のヒース・レジャーを始め、Dr.パルナサスにクリストファー・プラマー、撮影中に急死したヒース・レジャーの代役として、ジョニー・デップ/ジュード・ロウ/コリン・ファレル等の豪華キャストである。
タイトルからして、サスペンスを予感させたが、イマジネーション溢れる奇想天外なファンタジー作品である。
モンティ・パイソンの元メンバーで、カルト的人気監督・鬼才テリー・ギリアムの映像世界が広がる。
旅芸人の古めかしい舞台から、Dr.パルナサスは、我々を不思議な鏡の中の世界へと導いてくれる。
2007年のロンドン。旅芸人の一座が今にも壊れそうな馬車で現れる。座長は年齢1000歳以上といわれるパルナサス博士。出し物は、人の心の中の欲望を具現化する“イマジナリウム”と呼ばれる鏡。博士に導かれて鏡を通り抜けた客は、自分の願望を反映した幻想世界を体験できるのだ。だが、怪しげな出し物に興味を持つ客はいない。いかにも売れない旅芸人である。
博士は怯えていた。かつて僧侶だった時に、悪魔のMr.ニック(トム・ウェイツ)にそそのかされて、1人の女性に恋をしたのである。不死と若さを手に入れる代わりに、生まれた娘が16歳になった時、悪魔に娘を差し出す約束をしてしまったのだ。
娘ヴァレンティナ(リリー・コール)は、何も知らず、殺されそうになっていた青年トニー(ヒース・レジャー)を助ける。記憶喪失の彼は一座に加わると、巧みな話術で女性客を惹きつけ、ヴァレンティナも彼に心を奪われる。
16歳になる3日前、悪魔のニックが現れ、博士に賭けを持ち込む。鏡の世界に入り込んだ客に、悪魔の欲望の道と博士の良識ある道を選択させて、先に5人を獲得した方が勝ちというものだった。この賭けに勝てば娘を渡さなくてもいいと告げる。事情を知ったトニーは、次々と客を博士の道へ導く。しかし残り1人になった時ーーー。
鏡の中に逃げ込むトニーとヴァレンティナ、果して彼等の運命は?
人々の欲望を映し出すという鏡、トニーやヴァレンティナの欲望とは何だったのだろう?
人々は、悪魔の欲望の基地を選ぶのか、善の道を選ぶのか?
この作品は、デップ主役というより、主人公トニーを巡って現代を代表するヒース・レジャー、ジュード・ロウ、コリン・ファレル、デップと4人の演技が見物である。
ストーリー自体は大した事がないが、人間の多面性をトニーという一人の青年を通して、4人の大物役者に演じさせたというテリー・ギリアムの演出が光る。彼は、監督だけでなく、制作・脚本にも名を連ね、鏡の中に自分の世界を広げている。
ヒース・レジャーにとっては、この作品が遺作となってしまったが、今回ばかりはデップの演技も彼に食われている。ジュード・ロウとコリン・ファレルも素晴らしい。鏡の中の4つの顔。ヒース・レジャーの急死がなければ、トニー役は彼がすべて演じたのか?急死によって豪華キャスト作品になったのか?
人々の心を試す、悪魔のニックの意図と言い、多くの謎を含んだ作品である。
伝説の銀行強盗ジョン・デリンジャーを演じるデップ

製作年度: 2009年 1930年代前半の大恐慌時代、全米初の「社会の敵ナンバーワン」と言われた男
監督: マイケル・マン 製作総指揮: G・マック・ブラウン/ジェーン・ローゼンタール
製作: ケビン・ミッシャー/マイケル・マン 脚本: ロナン・ベネット/マイケル・マン/アン・ビダーマン
原作: ブライアン・バーロウ 音楽: エリオット・ゴールデンサール 主題歌: バイバイ・ブラックバード
キャスト: ジョニー・デップ/クリスチャン・ベール/マリオン・コティヤール/ビリー・クラダップ/スティーブン・ドーフ/スティーブン・ラング/ジョバンニ・リビシ/ロリー・コクレイン/デビッド・ウェンハム/スティーブン・グレアム/ジョン・オーティス/チャニング・テイタム/ジェイソン・クラーク
アメリカ大恐慌の1933年から34年にかけて、FBIをして「社会の敵ナンバーワン」と言わしめた実在のギャング”ジョン・デリンジャー”。この物語は、銀行強盗を繰り返しながら逃亡生活を続けるデリンジャー(ジョニーデップ)一味とそれを追うメルビン・パーヴィス捜査官(クリスチャン・ベール)との男の戦いである。
デリンジャーに関しては、1973年のジョン・ミリアス監督、ウォーレン・オーツ主演「デリンジャー」で映画化されている。自分は、ハッキリ言ってこちらの方がずっと良かった。白昼の銃激戦、スリリングな逃亡劇も「パブリック・エネミーズ」よりもずっと迫力があったし、シリアスであった。デリンジャーとビリーとの恋も自然であったし、実際のビリーは、インディアンの混血である。マリオン・コティヤールはフランス人だし、美男美女の組み合わせは、実話とはかけ離れている。
大体デップがカッコよすぎるのだ。実際のデリンジャーは、もっと泥臭い。映画「デリンジャー」では、メルビン・パービスとフーバー長官の確執も上手く描かれていたし、プリティ・ボーイ・フロイドやベビー・フェイス・ネルソンなどの実在人物たちも生き生きと描かれていた。
美男美女には、大根役者が多いとよく言われる。この作品におけるデップのカッコ良さにはそれを感じてしまった。自分は、実話に近いシリアスな作品が好きなので、この作品はかっこよく作られ過ぎていると思った。
追う者と追われる者の駆け引きに緊迫感が感じられず、捕まるときはあっさり捕まって、脱獄も簡単すぎる。男のドラマというより、全編に甘さが漂うラブストーリである。
デリンジャーは、義賊として庶民には人気があった。もっとデップには実在のデリンジャーの様々な人間性を見せて貰いたかった。毎回デップの演技力をほめてきた自分であるがこの作品に関しては、カッコいいだけで、性格俳優として魅せる演技はなかったように思う。
ギャング・マフィア物、あるいは社会性の強い作品を好む人には是非、1973年の「デリンジャー」を勧めたい。残念ながらDVD化はされていないがーーー。
最後に、全編に流れる”バイバイ・ブラックバード”という曲であるが、1926年にモート・ディクソン作詞、レイ・ヘンダーソン作曲のジャズナンバーであるが、何人かの歌手によって歌われたが、あまりヒットしなかったらしい。大きくクローズ・アップされたのは、マイルス・デイヴィスが1950年代後半にレパートリーにとりあげてからだという。ペギー・リーやマリリン・モンロー、オリビア・ニュートン・ジョンも歌っている。
時代に取り残されていく、デリンジャーの気持ちが歌われているのであろうか。
全ての心配と悲しみを拾って
さあ行こう 静かに歌いながら
バイバイ・ブラックバード
僕を待つ人の所へ
砂糖のように甘い彼女の所へ
バイバイ・ブラックバード
ここには僕を愛してくれる人も理解してくれる人もいない
ほんとについてないことばかり みんな持ってくる
ベッドを準備して灯りを点けて
今夜遅く着くから
ブラックバード・バイバイ
バイバイ・デリンジャー(パブリック・エネミーズ!)

製作年度: 2009年 1930年代前半の大恐慌時代、全米初の「社会の敵ナンバーワン」と言われた男
監督: マイケル・マン 製作総指揮: G・マック・ブラウン/ジェーン・ローゼンタール
製作: ケビン・ミッシャー/マイケル・マン 脚本: ロナン・ベネット/マイケル・マン/アン・ビダーマン
原作: ブライアン・バーロウ 音楽: エリオット・ゴールデンサール 主題歌: バイバイ・ブラックバード
キャスト: ジョニー・デップ/クリスチャン・ベール/マリオン・コティヤール/ビリー・クラダップ/スティーブン・ドーフ/スティーブン・ラング/ジョバンニ・リビシ/ロリー・コクレイン/デビッド・ウェンハム/スティーブン・グレアム/ジョン・オーティス/チャニング・テイタム/ジェイソン・クラーク
アメリカ大恐慌の1933年から34年にかけて、FBIをして「社会の敵ナンバーワン」と言わしめた実在のギャング”ジョン・デリンジャー”。この物語は、銀行強盗を繰り返しながら逃亡生活を続けるデリンジャー(ジョニーデップ)一味とそれを追うメルビン・パーヴィス捜査官(クリスチャン・ベール)との男の戦いである。
デリンジャーに関しては、1973年のジョン・ミリアス監督、ウォーレン・オーツ主演「デリンジャー」で映画化されている。自分は、ハッキリ言ってこちらの方がずっと良かった。白昼の銃激戦、スリリングな逃亡劇も「パブリック・エネミーズ」よりもずっと迫力があったし、シリアスであった。デリンジャーとビリーとの恋も自然であったし、実際のビリーは、インディアンの混血である。マリオン・コティヤールはフランス人だし、美男美女の組み合わせは、実話とはかけ離れている。
大体デップがカッコよすぎるのだ。実際のデリンジャーは、もっと泥臭い。映画「デリンジャー」では、メルビン・パービスとフーバー長官の確執も上手く描かれていたし、プリティ・ボーイ・フロイドやベビー・フェイス・ネルソンなどの実在人物たちも生き生きと描かれていた。
美男美女には、大根役者が多いとよく言われる。この作品におけるデップのカッコ良さにはそれを感じてしまった。自分は、実話に近いシリアスな作品が好きなので、この作品はかっこよく作られ過ぎていると思った。
追う者と追われる者の駆け引きに緊迫感が感じられず、捕まるときはあっさり捕まって、脱獄も簡単すぎる。男のドラマというより、全編に甘さが漂うラブストーリである。
デリンジャーは、義賊として庶民には人気があった。もっとデップには実在のデリンジャーの様々な人間性を見せて貰いたかった。毎回デップの演技力をほめてきた自分であるがこの作品に関しては、カッコいいだけで、性格俳優として魅せる演技はなかったように思う。
ギャング・マフィア物、あるいは社会性の強い作品を好む人には是非、1973年の「デリンジャー」を勧めたい。残念ながらDVD化はされていないがーーー。
最後に、全編に流れる”バイバイ・ブラックバード”という曲であるが、1926年にモート・ディクソン作詞、レイ・ヘンダーソン作曲のジャズナンバーであるが、何人かの歌手によって歌われたが、あまりヒットしなかったらしい。大きくクローズ・アップされたのは、マイルス・デイヴィスが1950年代後半にレパートリーにとりあげてからだという。ペギー・リーやマリリン・モンロー、オリビア・ニュートン・ジョンも歌っている。
時代に取り残されていく、デリンジャーの気持ちが歌われているのであろうか。
全ての心配と悲しみを拾って
さあ行こう 静かに歌いながら
バイバイ・ブラックバード
僕を待つ人の所へ
砂糖のように甘い彼女の所へ
バイバイ・ブラックバード
ここには僕を愛してくれる人も理解してくれる人もいない
ほんとについてないことばかり みんな持ってくる
ベッドを準備して灯りを点けて
今夜遅く着くから
ブラックバード・バイバイ
バイバイ・デリンジャー(パブリック・エネミーズ!)
伝説の「悪魔の理髪師」をデップが怪演!

製作年度: 2007年 160年以上のロングランを誇るミュージカルの映画化。 またまた、デップ&バートンのコンビ
監督: ティム・バートン 製作総指揮: パトリック・マコーミック 製作:リチャード・D・ザナック/ウォ ルター・パークス/ローリー・マクドナルド/ジョン・ローガン 脚本: ジョン・ローガン
原作戯曲: クリストファー・ボンド 作詞・作曲: スティーブン・ソンドハイム
キャスト: ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アラン・リックマン/ティモシー・スポール/サ シャ・バロン・コーエン/エド・サンダース/ジェイミー・キャンベル・バウアー/ジェイン・ワ イズナー/ローラ・ミシェル・ケリー
伝説の殺人理髪師スウィーニー・トッドの身の毛もよだつ物語は、1847年に初めて舞台で上演されて以来、160年以上も世界中の人々を魅了し続けてきた。残酷で猟奇的、それでもこの殺人鬼と血まみれの殺人シーンから目をそらさずにいられない。
この映画は、ブロードウェイの巨匠スティーブン・ソンドハイム作詞・作曲によるトニー賞8部門受賞の傑作ミュージカルをもとにしている。
ジョニー・デップの初主演映画は、「クライ・ベイビー」で、これがミュージカルである。デップは、12歳の時にギターを手にしており、バンド活動を続け、”ザ・キッズ”と言うロック・バンドを結成した。本格的なミュージシャンを目指し、ロサンゼルスにやって来たが、ニコラス・ケイジの勧めで俳優に転向している。
*注*「クライ・ベイビー」については、紹介済み http://movieno1.blog17.fc2.com/blog-category-5.html
つまり、デップにとっては初めてのミュージカル挑戦ではないが、今回は、全編歌わなければならない。
しかも、デビュー当時と要求される演技が比べ物にならないし、何といっても、この作品は何度も上演を繰り返されてきた古典的名作なのである。
19世紀のロンドン。フリート街で理髪店を営むベンジャミン・バーカー(デップ)の幸せな日々は、或る日突然打ち砕かれた。彼の美しい妻ルーシー(ローラ・ミシェル・ケリー)に横恋慕したタービン判事(アラン・リックマン)によって、無実の罪を着せられ、監獄に入れられた。パーカーは15年後、スウィーニー・トッドと名前を変えて、フリート街へ戻って来る。
そして、大家のミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム=カーター)から真実を聞かされたトッドは、再びパイ屋の二階で理髪店を始めた。
こうして、商売道具のカミソリを磨ぎながら、トッドの復讐が始まったのである。
ミセス・ラベットは、トッドの共犯者となり、死体の処理として人肉パイを売り出す。今までまずかったミートパイが、突然美味しくなったと街中の評判を呼び、パイ点は繁盛して行く。
驚嘆するほど猟奇的でグロテスク。でも、そこにあるのはピュアな愛。二転三転する復讐劇は、意外な結末へと展開して行く。トッドのカミソリの餌食にならないのは誰?
善良だったバーカーが、極悪非道なトッドに生まれ変わる状況は、誰の身にも起こりうる事である。人間には、ありとあらゆる感情と心が備わっている。異常な場面を迎えた時、自分でも気付かなかった別の自分が顔を出すということは、充分考えられるのである。
音楽がセリフのように奏でられ、感情が旋律によって引き出されている。歌の合間にトッドは、次々と客の喉を切る。美しい旋律と、おぞましい行為が一体となって人間の本質をあぶり出す。
自分が、バーカーの状況に立たされた時、どうするか?そしてその結果が何をもたらすのか?ーーーこれが、この作品のテーマだと思う。
絶望の中から、復讐だけを生甲斐にするトッドの救いのなさと、そんな彼に魅かれて行き、明るい家族を夢見るミセス・ラベットの愛は、実に対照的である。
この作品には、色んな愛の形が描かれている。愛ゆえの悲劇の名作だと言える。
理髪店の椅子を改造して、客の死体がバタンと床下に落ちるようにしたトッドだが、彼自身もその機械仕掛けの一部になったように、何のためらいもなく、機械的に悪魔に魅入られたがごとく、殺人を繰り返していく。
残虐に喉を切り裂いていくが、感情がなく、表情一つ変えずに作業をこなしていく感じだ。
”シュパッ”と血が噴き出す音、”ギー、バタン”と椅子が回転する音だけが、リズミカルに続く。それらが余計に”哀しさ”を感じさせる。
血なまぐさいシーンが多く、観客は何度も血しぶきを浴びせられるかのようでもあるが、単なるスプラッターではない。普通のミュージカルでもない。ジャンルでは括れないバートンの世界だ。
色づかいも鮮やかだ。黒のタイトルから真っ赤な血が流れてくる。殺人シーンの血は、もっと鮮血な真紅色だ。全体の画面は、トッドの心情のように暗い。わずかに、ミセス・バケットの夢想シーンだけが、鮮やかだ。
つまり、キャラクターの感情に基づいて、カラーが使い分けられている。
作品によって、その都度違うキャラを演じるデップだが、こんなに怖い彼の表情は見た事がない。内面に向かう暗さを見事に演出している。殺人シーンの彼は無表情だが、彼自身は情感たっぷりなモンスターである。
本当の犠牲者はトッド自身であり、復讐を夢に描くうちに、段々取り憑かれたようになっていき狂気へと変わっていく。
19世紀のイギリスで、世間を震撼させた事件として、5人の娼婦をめった切りにした”切り裂きジャック”と、この”スウィーニー・トッド”が挙げられるが、どちらもマスコミは連日大々的に事件を取り上げ、大衆には一代センセーションとなった。
人間とは、所詮残酷な面があり、自分の事でなければ、こういった猟奇的事件に異常な関心を示すものなのだ。
時代も、貧富の差が激しく、下層階級はその日の食にも事欠く有様であった。人々は、常に何かに飢えていたのである。それが、ジャックやトッドが、”時代の申し子”と呼ばれる由縁であろう。
「フリート街の悪魔の理髪師」は、普通のミュージカルでもなく、単なるスプラッターでもない、人間の内面に鋭くメスを刺した哀しい、哀しい物語であり、そこに描かれているのはメロドラマなのである。

製作年度: 2007年 160年以上のロングランを誇るミュージカルの映画化。 またまた、デップ&バートンのコンビ
監督: ティム・バートン 製作総指揮: パトリック・マコーミック 製作:リチャード・D・ザナック/ウォ ルター・パークス/ローリー・マクドナルド/ジョン・ローガン 脚本: ジョン・ローガン
原作戯曲: クリストファー・ボンド 作詞・作曲: スティーブン・ソンドハイム
キャスト: ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アラン・リックマン/ティモシー・スポール/サ シャ・バロン・コーエン/エド・サンダース/ジェイミー・キャンベル・バウアー/ジェイン・ワ イズナー/ローラ・ミシェル・ケリー
伝説の殺人理髪師スウィーニー・トッドの身の毛もよだつ物語は、1847年に初めて舞台で上演されて以来、160年以上も世界中の人々を魅了し続けてきた。残酷で猟奇的、それでもこの殺人鬼と血まみれの殺人シーンから目をそらさずにいられない。
この映画は、ブロードウェイの巨匠スティーブン・ソンドハイム作詞・作曲によるトニー賞8部門受賞の傑作ミュージカルをもとにしている。
ジョニー・デップの初主演映画は、「クライ・ベイビー」で、これがミュージカルである。デップは、12歳の時にギターを手にしており、バンド活動を続け、”ザ・キッズ”と言うロック・バンドを結成した。本格的なミュージシャンを目指し、ロサンゼルスにやって来たが、ニコラス・ケイジの勧めで俳優に転向している。
*注*「クライ・ベイビー」については、紹介済み http://movieno1.blog17.fc2.com/blog-category-5.html
つまり、デップにとっては初めてのミュージカル挑戦ではないが、今回は、全編歌わなければならない。
しかも、デビュー当時と要求される演技が比べ物にならないし、何といっても、この作品は何度も上演を繰り返されてきた古典的名作なのである。
19世紀のロンドン。フリート街で理髪店を営むベンジャミン・バーカー(デップ)の幸せな日々は、或る日突然打ち砕かれた。彼の美しい妻ルーシー(ローラ・ミシェル・ケリー)に横恋慕したタービン判事(アラン・リックマン)によって、無実の罪を着せられ、監獄に入れられた。パーカーは15年後、スウィーニー・トッドと名前を変えて、フリート街へ戻って来る。
そして、大家のミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム=カーター)から真実を聞かされたトッドは、再びパイ屋の二階で理髪店を始めた。
こうして、商売道具のカミソリを磨ぎながら、トッドの復讐が始まったのである。
ミセス・ラベットは、トッドの共犯者となり、死体の処理として人肉パイを売り出す。今までまずかったミートパイが、突然美味しくなったと街中の評判を呼び、パイ点は繁盛して行く。
驚嘆するほど猟奇的でグロテスク。でも、そこにあるのはピュアな愛。二転三転する復讐劇は、意外な結末へと展開して行く。トッドのカミソリの餌食にならないのは誰?
善良だったバーカーが、極悪非道なトッドに生まれ変わる状況は、誰の身にも起こりうる事である。人間には、ありとあらゆる感情と心が備わっている。異常な場面を迎えた時、自分でも気付かなかった別の自分が顔を出すということは、充分考えられるのである。
音楽がセリフのように奏でられ、感情が旋律によって引き出されている。歌の合間にトッドは、次々と客の喉を切る。美しい旋律と、おぞましい行為が一体となって人間の本質をあぶり出す。
自分が、バーカーの状況に立たされた時、どうするか?そしてその結果が何をもたらすのか?ーーーこれが、この作品のテーマだと思う。
絶望の中から、復讐だけを生甲斐にするトッドの救いのなさと、そんな彼に魅かれて行き、明るい家族を夢見るミセス・ラベットの愛は、実に対照的である。
この作品には、色んな愛の形が描かれている。愛ゆえの悲劇の名作だと言える。
理髪店の椅子を改造して、客の死体がバタンと床下に落ちるようにしたトッドだが、彼自身もその機械仕掛けの一部になったように、何のためらいもなく、機械的に悪魔に魅入られたがごとく、殺人を繰り返していく。
残虐に喉を切り裂いていくが、感情がなく、表情一つ変えずに作業をこなしていく感じだ。
”シュパッ”と血が噴き出す音、”ギー、バタン”と椅子が回転する音だけが、リズミカルに続く。それらが余計に”哀しさ”を感じさせる。
血なまぐさいシーンが多く、観客は何度も血しぶきを浴びせられるかのようでもあるが、単なるスプラッターではない。普通のミュージカルでもない。ジャンルでは括れないバートンの世界だ。
色づかいも鮮やかだ。黒のタイトルから真っ赤な血が流れてくる。殺人シーンの血は、もっと鮮血な真紅色だ。全体の画面は、トッドの心情のように暗い。わずかに、ミセス・バケットの夢想シーンだけが、鮮やかだ。
つまり、キャラクターの感情に基づいて、カラーが使い分けられている。
作品によって、その都度違うキャラを演じるデップだが、こんなに怖い彼の表情は見た事がない。内面に向かう暗さを見事に演出している。殺人シーンの彼は無表情だが、彼自身は情感たっぷりなモンスターである。
本当の犠牲者はトッド自身であり、復讐を夢に描くうちに、段々取り憑かれたようになっていき狂気へと変わっていく。
19世紀のイギリスで、世間を震撼させた事件として、5人の娼婦をめった切りにした”切り裂きジャック”と、この”スウィーニー・トッド”が挙げられるが、どちらもマスコミは連日大々的に事件を取り上げ、大衆には一代センセーションとなった。
人間とは、所詮残酷な面があり、自分の事でなければ、こういった猟奇的事件に異常な関心を示すものなのだ。
時代も、貧富の差が激しく、下層階級はその日の食にも事欠く有様であった。人々は、常に何かに飢えていたのである。それが、ジャックやトッドが、”時代の申し子”と呼ばれる由縁であろう。
「フリート街の悪魔の理髪師」は、普通のミュージカルでもなく、単なるスプラッターでもない、人間の内面に鋭くメスを刺した哀しい、哀しい物語であり、そこに描かれているのはメロドラマなのである。